作家・谷崎潤一郎の「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」という随筆は、戦前の昭和8年に書かれたものでありながら、もう既に、わが国から「闇」が失われつつあることを憂いている内容になっているのは驚きです。例えば漆器の美しさについて、こんな風に述べています。

──その時私が感じたのは、日本の漆器の美しさは、そういうぼんやりした薄明かりの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されるということであった。

──事実、「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないといっていい。今日では白漆というようなものも出来たけれども、昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。

(谷崎潤一郎 著『陰翳礼讃』より)

 このような美意識は現代において忘れられがちではあるものの、それでもやはり真昼の桜よりも夜桜の憂いを愛でるような日本人固有の心性は、今日でも私たちの中に脈々と受け継がれているものでしょう。これが、ルドンの描く「闇」の世界に対して私たちが強く惹かれる一因なのかもしれません。事実、ルドン展がわが国でしばしば開催されたり、彼の版画や絵画を日本の企業や美術館が数多く所有していたりすることにも、その強い親和性が表れているように思われます。

 かつて私が、パリのオルセー美術館のパステル画の展示部門で観た、かなり薄暗い照明の中にぼんやりと照らし出されたルドンのパステル画は、その「闇」の効果もあって、強く私の記憶に残っています。それはあたかも、谷崎の述べている漆器の話に通じるものがあるのではないかと思うのです。

 今回の三菱一号館美術館の展示も、その空間の静謐さと「闇」がとても作品に似つかわしく、鑑賞者がルドンの象徴の世界にゆったりと浸ることのできる、とても上質で、見応えのあるものでした。

「闇」を封印した現代人

 「闇」というものが、いかに深く人間の精神世界に関わっているかについては、日々の臨床においても、私がしばしば実感していることです。

 自己愛の不全に悩むクライアントたちは、道徳的に「あるべき自分」にならなければと考えるがあまり、自身の「闇」を見ないような状態になっているか、「闇」を抱えている自分を激しく嫌悪していることが多いものです。浅く考えれば、それはそれで良いのではないかと思うかもしれませんが、この状態のままでは決して問題は解決しません。

 われわれが裡(うち)に抱えている「闇」は、それ自体とても大きな力を持っているものなので、これを封じてしまうと、根源的なエネルギーが動き出してくれません。ですから、どうしても「闇」とつながる作業を避けて通るわけにはいかないのです。