精神を映し出すスクリーン

 画家としてのデビューも39歳とかなり遅咲きだったルドンは、その画家人生の前半においては、ほぼモノクロームの版画や木炭画など、「黒」による表現に徹しました。彼は「黒」について、次のように述べています。

──黒は最も本質的な色だ。その輝きと生命について、私がひそかに考えていることを告白すれば、人の知らない健康状態の深みが源泉なのだと思う。

──黒を大切に扱わなければならない。媚を売らせることはできない。眼に快感を与えるものでもなし、官能を楽しませるものでもない。パレットやプリズムの呈する美しい色とちがって、精神のための働き手なのだ。

(同前『ルドン 私自身に』より)

 この言葉から、彼がなぜ画家人生の前半に「黒」に徹し、58歳以降の後半になって色彩を用いるようになったかについての、一つの深い理由が見えてくるように思われます。それはつまり、ある程度の充実したエネルギーがなければ、「最も本質的」で「精神のための働き手」である「黒」を用いることは難しいということです。

 このように「黒」が象徴する精神の世界とは、画家にとっても鑑賞者にとっても、ある程度以上のエネルギーを持ったイマジネーションの力を必要とするものです。「黒」は、最も禁欲的な色でありながらも、観る者の「心」の在りようを何ら制約することなく映し出すスクリーンのような作用を持っています。ルドンの版画が、観る者を飽きさせない拡がりと奥行きを備えていたのは、そういった「黒」の持つ特異な力を、彼が熟知していたことによるものなのでしょう。

《スペインにて》1865年 エッチング/紙 シカゴ美術館蔵 The Art Institute of Chicago, The Stickney Collection, 1920.1552 The Art Institute Of Chicago / Art Resource, NY

「陰翳礼讃」

 ルドンにとっての「黒」が、精神の世界に向かう上で最も大切なものであったように、私たちすべての人間にとっても「闇」の世界は、自分の内なる「心」の世界と向き合う上で欠かせないものだと言えます。

 しかし、現代に生きる私たちは、「光」によってあらゆるものを隈なく照らし出すことに忙しいがあまり、大切な「闇」を忘れ、いつしか嫌悪するまでになってしまったのではないかと思われるのです。