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「闇」から放たれる光

 いつの間にか私たち現代人の中に、「闇」と呼べるものが見当たらなくなってしまいました。近年、世間を賑わしている数々のスキャンダルも、どれも小さなエゴイズムや保身、因習にあぐらをかいた無神経さ、見え見えの嘘を厚顔無恥に押し通そうとする幼児性などが主なものであって、そこには「闇」の称号を与うるに足るような、ある種の色気と凄みはありません。

 「闇」と言えば、その最も美しい表現者の一人にフランスの画家オディロン・ルドン(1840年~1916年)が挙げられるのではないかと思います。折しも、東京丸の内の三菱一号館美術館(東京都千代田区丸の内2-6-2)では「ルドン─秘密の花園」展(主催:三菱一号館美術館/日本経済新聞社、期日:2018年2月8日~5月20日)が開催されています。

 幻想的な画家と称されることの多いルドンですが、彼自身は決して夢見がちな幻想を弄(もてあそ)んでいたわけではありませんでした。

 本人の言葉によれば、それははっきりとした意図を持った「暗示の芸術」だったのです。

──暗示の芸術は、ものが夢に向かって光を放ち、思想がそこに向かうようなものです。退廃と呼ばれようが、呼ばれまいが、そういうものです。むしろ我々の生の最高の飛翔に向かって成長し、進化する芸術、生を拡大し、その最高の支点となること、必然的な感情の昂揚によって精神を支持するのが、暗示の芸術です。

(オディロン・ルドン著『ルドン 私自身に』所収
「芸術家のうちあけ話」より 池辺一郎訳)

 この言葉からもうかがえるように、いわば確信犯的にルドンは、この世に「ありそうでないもの」を次々に描いています。たとえ花瓶に生けられた花束を描いたとしても、それは現実の花束にはない「向こうの世界」の花々のようです。

《グラン・ブーケ(大きな花束)》1901年 パステル/カンヴァス 三菱一号館美術館蔵