「アンダー・コミュニケーション」の大切さ

 急速に進歩を遂げた高度情報化社会に生きる私たちは、この便利な情報というものとどう付き合っていくべきかを、一度立ち止まって考えてみなければなりません。

 社会人類学者レヴィ=ストロースは、こんなことを述べています。

 ……事実、相違とは非常に豊かな力をもつものです。進歩は、相違を通してのみなされてきました。現在私たちを脅かしているものは、“オーヴァー・コミュニケーション”とでも呼びうるものでしょう。つまり、世界のある一点にいて、世界の他の部分で何が行なわれているかをすべて正確に知りうるようになる傾向です。ある文化が、真に個性的であり、何かを産み出すためには、その文化とその構成員とが自己の独自性に確信を抱き、さらにある程度までは、他の文化に対して優越感さえ抱かなければなりません。その文化が何かを産み出しうるのはアンダー・コミュニケーションの状態においてのみなのです。

(『神話と意味』大橋保夫訳、みすず書房)

 さまざまな民族が独自の文化や文明を形成する上で、アンダー・コミュニケーションが不可欠であるということを、レヴィ=ストロースは言っているのですが、それは個人についても同様のことが言えるのではないかと思います。

 要領よく整った結果を手早く求めるには、氾濫する情報にアクセスすることが大変便利であるには違いありません。しかし、時には情報から距離を置いて、閉じた状態の中で不器用に何かを試行錯誤してみたり、とりとめのない空想の中に身を置いてみたりすることもまた大切なことではないかと思います。

 オリジナルな発想や発見は、アンダー・コミュニケーションの状態の中で行われることが多いものです。既存の情報のピースを組み合わせることが知的な作業と捉えられがちな現代ですが、私たちの内奥に広がっている自然の原理は、思いもよらない新たなピースを生み出してくれることも珍しくないのです。

 われわれの「頭」というコンピューターで行うような作業は、いずれ次々にAI(人工知能)によって代替可能になっていくことでしょう。しかし、そんな時代が訪れたとしても私たちの「心=身体」のもつ底知れぬ英知と即興性は、決して脅かされることなく、新たな発想を生み出し続けてくれるに違いありません。

 外にある膨大な情報は、今後も必要に応じて活用していくとしても、われわれの内なる英知へのリスペクトは、決して忘れてはならないと思うのです。

次回へ続く)