レシピとマニュアルの氾濫する現代

 確かに、レシピを見て作れば、初心者でも失敗することなく、ある程度形になるものを作ることはできるでしょう。それは、手探りの試行錯誤を重ねるよりも、はるかに効率的かもしれません。しかし、それだけでは、レシピ通りの素材がない場合や、手元にある雑多な素材から自在に料理を考案することなど、応用ができるようにはなりません。

 ここでは、たまたま料理について述べてきましたが、このような試行錯誤の意義については、他のどんな仕事や学問、芸術、スポーツなどにおいても、同様のことが言えるのではないかと思います。

 例えば、音楽においても、「ここはこのように弾くように先生に教わったので」という従順で受動的な精神で奏でられた演奏は、聴く者の心に響くものにはなり得ません。このような主体のない形だけ真似たものを、世阿弥は能楽書の『至花道(しかどう)』において「無主風(むしゅふう)」と呼んで戒めています。しかし残念ながら、どうも現代には「無主風」なものがあまりに氾濫しているように思われてなりません。

 学生のレポートにはいわゆるコピペによってインスタントに作成されたものが横行し、教官がそれを検知するソフトを用いなければならなくなっているという話も耳にします。本来遊びであるはずのゲームでさえ精緻な攻略本が用意されていますし、夏休みの自由研究もネットでネタが手に入るにとどまらず、必要な材料が揃ったキットが販売されていたりもします。幼稚園のママさんたちは、「手作り」でバッグなどを用意しなければならない時に、ネット上で「手作り」してくれる人に有料でオーダーすることも珍しくないようです。

 このように、形だけ整えて“要領よく”その場を切り抜ける傾向が、あちらこちらに見られるようになってきているのです。若い世代を中心に「失敗を恐れる」傾向が強まってきているのも、このような情報ネットワークと過剰サービスを背景にした、現代人の結果主義や効率主義的価値観が関わっているのではないでしょうか。