「心」は「頭」より劣等なのか?

 私たちは、幼い時のしつけに始まり、学校時代や社会に出てからも一貫して、「頭」の理性を強化することを求められて進んできました。それは、暗黙のうちに、「頭」の方が「心=身体」よりも優れたものであるという価値観をすり込まれてきたようなものだと言えるでしょう。

 しかし、うつ病をはじめとするメンタルトラブルの激増や、多少件数が減ったとはいえ依然として頻発する自殺の問題など、現代人の精神の問題は決して楽観できない状況にあります。私が日々の診療で痛感していることは、これらの問題の本質が、いずれも、「頭」が独裁的に「心=身体」を支配してしまっていることへの、「心=身体」側からの反発や悲鳴であるということです。

心に常に「フタ」をしてしまっていると、メンタルな問題を引き起こすことになる。「頭」の支配に「心=身体」側から悲鳴が上がるのだ。(写真:tomwang/123RF)

 「頭」のコンピューターは、何をするにつけ、損得を計算したり、効率や意義を追い求めようとします。そしてこの「頭」の性質は、そのまま現代社会の価値観に反映し、多くの人々もその価値観で動くようになってしまっているのです。そんな中で、どうしても置き去りにされ踏みにじられがちなのが、人間の「生き物」としての側面です。

 ここで、人間という存在が、自然原理と非自然原理のハイブリッドであることをもう一度思い出す必要があります。非自然原理の「頭」が個人個人の中で優位になっているのみならず、今や社会全体が非自然原理に方向付けられてしまっている。そんな状態に対して、自然原理の方がいつまでも黙って耐えてくれるはずはないのです。

 「心」は、「頭」のように分かりやすい理由づけや証拠を一々持ち出したりせずに、瞬時に、直感的に、物事の本質を見抜き、判断を下す性質があります。何事につけ理由や根拠を述べなければならない現代人にとって、理屈なしに物を言ってくる「心」の意見は、なかなか受け入れ難いかもしれません。しかし、直感や第一印象が案外本質を捉えていたものだったなあと、あとになってつくづく思い知らされた経験が、誰でも少なからずあるのではないでしょうか。

「心」のフタがすこしでも緩むように

 もちろん、後天的な学習や訓練によって身につけた知識やスキルも大切ですが、だからと言って、われわれに予め備えられている自然原理の奥深い知恵を軽く見てはなりません。どんなに科学や医学が進歩したとはいえ、未だに生命体一個すら生み出せていないのが、「頭」の理性の限界であり、それが自然原理に遠く及ばない水準に過ぎないことを示しているのです。

 われわれすべての人間に揺るぎなく備えられている自然原理。その叡智に対して、かなり性能の悪いコンピューターに過ぎない「頭」を上位に置いて独裁者のごとく従わせることは、どう考えてもおかしな構図です。つまり、劣等な「頭」が高等な「心=身体」を仕切ることになるわけですから、トラブルが起こってくるのは必然なのです。

 私たち現代人に起こってくるさまざまな苦悩や不調、そして現代社会に見られる諸々の問題。これらの根底には、「頭」の価値観が優位なものとして過大評価されてしまっているという過ちが、共通して認められるのです。

 このコラムではこれからも、さまざまな切り口で「頭」の優位性に揺さぶりをかけ、「心」のフタがすこしでも緩んでくるような、現代でつい見過ごされがちな考え方や視点をお届けできればと思っています。

次回へ続く)