私たち人間は、「言葉」というツールを持っている点において、他の動物と決定的に異なります。そしてこのツールは、仲間同士の情報伝達の役割にとどまらず、自分自身の内界そのものを形作っている基本でもある。つまり、私たちが何かを感じたり、何かを考えたりするのも、それを一々声に出したり文字に起こしたりせずとも、常に内的な言葉で行っているのですし、過去のさまざまな出来事も内的な言葉で記憶されている。そして、さまざまな物事についての判断や受け取り方は、すべて「言葉」によって書き込まれている基本公式のような価値観によって決定されている。ですから、私たちは「言葉」による一種の膨大な構造物のような部分を備えた存在であると言って良いかもしれません。

 そのような特徴を持つ人間に生じたさまざまな問題について、基本原理である「言葉」を用いずに、薬物のような化学物質だけで解決できると考えることには、やはりどうしても無理があるのではないかと思います。薬物には、心の歴史や価値観までも変えるような力はないのです。

新約聖書「ヨハネ福音書」の冒頭には「はじめに言葉ありき(In the beginning was the Word.)」という言葉が書かれている。(写真:designpics/123RF)

人間は「頭」と「心=身体」のハイブリッドである

 このように、「言葉」によって複雑に構成されているのが人間の大きな特徴なのですが、しかし一方で、人間は動物の一種でもあります。さまざまな本能や欲求を備え、感覚や感情によって衝動的に突き動かされる側面も否定できません。理性など存在していないかのように、動物的なところもある。では果たして、私たち人間とはいったい何者なのでしょうか。

 古くから、人間がどんな存在なのかという問いについて、さまざまな議論が繰り返されてきました。例えば、人間の本性について「性善説」もあれば「性悪説」もありましたし、近年でも「人間は本能の壊れた動物である」といった論を唱える人もあります。20世紀初頭には、精神分析の創始者フロイトが「超自我・自我・イド(エス)」という構造で人間を捉えたことも、よく知られているものでしょう。

 しかし私は、人々のさまざまな葛藤や苦悩と数多く向き合っているうちに、普段私たちが何気なく使っている「頭」「心」「身体」という言葉を用いて、もっと分かりやすくいろいろな現象を統一的に説明できるのではないかと考えるようになったのです。それは、次の図式のように人間を理解する見方です。

■人間を理解するために必要な「頭」「心」「身体」の関係
心の「フタ」とメンタルトラブルとの関係については、日経ビジネスオンラインの2017年3月7日配信記事「“労働教”から離脱し、キリギリスとして生きよ」もぜひご参考ください。

 この図に示したように、「心」は「身体」と“一心同体”につながっていて、そこは自然(野性)原理でできています。つまり、この部分は他の動物とさして変わりありません。しかし、その上に進化のプロセスであとから形成された「頭」が乗っかっています。この図では「頭」のところだけ白くなっていますが、それは、この「頭」だけは自然原理では動いていないという意味です。

 そもそも「頭」という場所は、身体的には決して巨大でも強靭でもない人類が、他の猛獣などを制して生き抜くために発達させた部分で、いわば「(柳の下の)二匹目のドジョウ」を狙うような考えを生み出す部分です。つまりこの「頭」とは、コンピューター的な情報処理を行う部分であり、さまざまな計算や比較、計画や予測などのシミュレーションをするわけです。