松浦:新しいものは登場した当初は、だいたいにおいて未完成であってちゃちに見えるし、どうしても危険をはらむものなんです。でも技術はいずれ進歩するからどんどん安全で高性能なものになっていく。そして生活をより便利に快適に変えていくんですね。ところが最初のところで「危険じゃないか」といって反対してしまうと、社会に新しい技術が根付かず、停滞してしまうことになる。

 そこで官僚の出番です。彼らは社会制度を作って、新しい乗り物が安全に使えるようにして、社会に定着させます。

Y:いいじゃないですか。

松浦:でも、同時に、利権も作っちゃう。しかも利権を作るにあたって、人々の「危ないから、日常の中で使ってくれるな」という心情を利用します。具体的にいうと「危ないから、安全性を確保するために国による許可制にする」とかですね。

 しかも許可のための外郭団体を作って、そこに天下りの椅子を確保したりする。許可制度をちらつかせれば、関連企業ににらみを利かせることができるし、企業内にも天下りの椅子を作ることだってできます。

 このやりかただと、規制を厳しくして新たな技術開発や自由な自作なんかを締め上げるほど、人々は「危ないことは国が規制してくれる」と安心し、同時に役所はより一層の利権を手に入れることができます。

軽自動車に生まれていた「試行錯誤」

Y:ううむ。ドローンも「事故が多発するまえに、早く公が規制せよ」という声があちこちから出て、おっしゃったような構図になってますねえ。その一方で、産業としてはすっかり中国のDJIに持って行かれた形になっているし。

松浦:自動車を巡る社会制度の歴史をたどっても、そういう構図が見えてきます。例えば1930年に車検制度がスタートした時は、商用車限定で自家用車に車検はありませんでした。自家用車の車検制度がはじまったのは第二次世界大戦後の1951年です。すぐに「交通事故が増加したから」という理由で1955年に自賠責保険が義務化されました。

 この間軽自動車はずっと車検がありませんでした。実は軽自動車は、車検がなくてなんでもし放題という時代があったんです。が、1973年には軽自動車が増えたということで、車検が義務付けられるようになりました。

 この間、車検は非常に検査項目が多く、かつわかりにくいために、専門業者でないと車検を受けるのが難しいという状況が続きました。車検制度が幾分緩和されて、点検項目が減り、ユーザー車検がちょっとだけやりやすくなったのは1995年、日米貿易摩擦の結果です。

Y:……。まあ、でも、安全になるのなら、それはそれでいいのではないですか。

松浦:確かにそれでいいという時代はあったんです。きちんと自動車という道具を社会の中に位置付けるために、とにもかくにも社会制度を作っていかなくちゃいけない時代が。

 経済は拡大基調だったから、その中で官僚システムが利権を作っても許されたし、むしろ車検業者みたいな関連雇用を増やすということで、きびしい制度があるほうがいい、と考える向きもあったんです。でも、このやりかただと基本的に規制即利権ですから、規制が厳しくなることはあっても緩和はなかなかできない。それこそ米国に外交交渉でぼこぼこ叩かれてちょっと緩むとか、そんな程度です。

 そこには「最小限の社会的コストで効率良く安全を確保するには、どんな制度がいいのか」という健全な問題提起は見あたりません。そして、今や、既存の枠に収まらないモビリティがどんどん、大変な速度で出現しています。

社会制度が技術革新とベンチャー魂を殺す

Y:そうか……セグウェイもそうだし、自動運転車もそうだ。自動運転車は自動車というよりも自律制御するロボットだし。

松浦:電動航空機もそういう新しいモビリティですよね。ドローンも、バーチャルリアリティと絡めて目や腕の機能をカメラやアクチュエーターとして遠くに飛ばす、と考えると、新たなモビリティという区分に入れてもいいでしょう。

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