飛行機が自作できる国は、自動車も自作できる

Y:検索してみると、日本でも、有志団体のCARTIVATORさんが挑戦しているようですね。

松浦:「空飛ぶ自動車(クルマ)」には、実は大きく2つの種類というか、目標があって、ひとつは「普通に自動車として使えて、しかも空を飛べる」もの。もうひとつは「クルマのように手軽に使える飛行機械」。地上走行は目指していないか、あまり重視していない、車輪が付いた大きなドローン、というイメージです。いま話しているのは前者です。

Y:え? つまりどこが違うんでしょう。

松浦:既存の交通法規に則って自動車に混じって道路を走れて、その上で空も飛べるのが、ここで言う「空飛ぶ自動車」ということですね。

Y:なるほど。で、「空飛ぶ自動車」って、本当にものになるんですか。

松浦:私はダメだろうと観ています。

Y:あらまあっさりと。ダメですか。

松浦:「あれもこれもできる道具」は「あれにもこれにも不十分」となる可能性が非常に高いです。五徳ナイフがどの用途でも使いにくいのと同じです。そもそも自動車と航空機では要求される性能が全く違います。どんなに頑張っても、最後はどっちつかずになると思います。歴史的にもさんざん試作され、結局ものになっていないですし。

 でも、オシコシで実物を見て、こういうベンチャーが存在するということは「空飛ぶ自動車が技術的に実現できる/できない」だけで切って捨ててはいけないと感じたんですよ。

Y:それはどういうことですか。

松浦:つまり、米国をはじめとして諸外国では、航空機だけではなくて自動車も自作できる社会制度があるんですよ。だから「空飛ぶ自動車」を作る人たちが現れるわけです。

Y:そうか、公道を走る時は自動車だからナンバープレートを付けなければいけない。つまりクルマ関連の法的規制をクリアしなくちゃいけない。空を飛ぶ時は飛行機だから米連邦航空局(FAA)の認証を取得しなくちゃいけない。どっちも大手を振って自作機を運転なり操縦なりできる社会制度がないと、「空飛ぶ自動車を作ろう!」なんて発想は出てこないんだ。

松浦:連載で触れたとおり、米国の自作航空機が「Experimental」というカテゴリーに入るのは決して理由がないわけではなくて、まず試作機を作って飛ばさないことにはExperimentalではない実用的な機体を開発できるわけがないからです。そこら辺は自動車もバイクも、もっといえば電動自転車も無人のドローンも同じでしょう。ところが、これらも手軽に試作できる社会制度が日本にはありません。

Y:あー、航空機だけじゃない、と?

松浦:そうなんです。航空機だけの問題じゃないんです。「乗り物の試作と試験が極端に難しい社会制度が存在して、自由な技術革新を阻む」という、もっと根深い構造的な問題があって、それが航空機の認証にも現れているんです。

Y:光岡自動車も市販車への進出では大変な苦労をしたそうですし。そういえば、セグウェイもいつまで経っても日本では公道を走れるようにならないですねえ。

松浦:セグウェイ実現にあたっての技術的な核心というべき半導体加速度センサーやジャイロでは、日本は高い技術を持っているんですけれどね。

安心と利権が手を取り合って、試行錯誤がしにくい社会制度に

Y:そんな制度が形成された理由はなんでしょうね。

松浦:私はこの問題の要素は「新しいものを拒否してでも、安心を求める私たち」と「権限をどこまでも増やしていきたい官僚」の合作だと考えています。

Y:ん? 具体的にいきましょう。例えば……?

松浦:何か新しいモビリティが生活に入ってするとしますよね。鉄道でもいいし、自動車でもバイクでも、航空機でもいいです。最初は珍しい見世物だから人が寄ってくる。でも、生活の中に入ってくると今度は「入ってくるな」という反発が起きる。どうもこの反発が日本の場合強いんです。そして反発は「危ないから来るな」という形を取る。

 根底にある考え方は「今日の生活を変えるな」です。「今日と同じ明日がある」ことに価値を見いだす姿勢ですね。つまり「今日の生活」は慣れているから安心なんです。この安心が明日も続いてほしいから、新しいものは生活に入ってくるな、となる。

Y:陸蒸気、いや、蒸気機関車の吐き出す火の粉で火事になったらどうするんだ、と、中心部から離れたところに駅ができた、みたいな。乗り物に限ったことじゃないですよね。パソコンが登場した時も、携帯電話が出て来た時も、スマートフォンが発売されたときも似たような反応がありましたっけ。

松浦:パソコンのOSですら「ウイスキーとOSは古いほど良い」なんて言葉もあったよね。

Y:いやまあ、それは、出たばっかりのOSはバグが多かったりしたからで……。

松浦:そう、そこ!  そこはポイントだと思うんですよ。