電波帯域を得て生き延び、発展したラジコン模型

 実は、航空機と親しい関係にありながら、すこし違った動きがあったために成長することができた産業がある。無線操縦模型――ラジオコントロール模型の産業である。ラジオコントロール模型は電波を使用するので、そのための電波帯域を公的に確保しなければならない。日本では1950年に電波法が制定され、それに基づく電波帯域の分割が進んだ。ラジコンの帯域確保は玩具・模型メーカーなどの業界団体の要請によって1957年に行われたが、当初郵政省は「遊びのために貴重な電波帯域を使うことはできない」という態度だった。

 ところで当時、自由民主党に園田直(そのだ・すなお 1913~1984)という実力派代議士がいた。彼は戦時中は陸軍空挺隊に所属していた「空の経験者」であり、自らも模型飛行機を飛ばす大の模型好きでもあった。園田が動いたことで、ラジコンは27MHz帯と40MHz帯の電波帯域を確保することができた。この時、電波帯域が確保できていなかったら、「外国ではラジコンで遊べるのに、日本では遊べない」ということになっていたかもしれない。

 そして、模型飛行機、特に本物と同様の操縦が可能なラジコン航空機模型こそは、子どもが親しみ、長じて航空分野を目指すようになる、「航空の孵卵器」とでもいうべき存在なのである。

EAA Aviation Museumのバート・ルータンを顕彰する展示の冒頭部分。ルータン初のホームビルト機「バリ・ビゲン」(上)の下のショーケースには、十代のルータンが作った模型飛行機が展示されている。

 EAA Aviation Museumは、航空機設計者バート・ルータン(1943~)関連の展示に建物の一角を割いている。それほどまでにルータンの業績は大きい。ホームビルト機のキット販売から始めて、無着陸無給油の世界一周飛行を成し遂げた「ボイジャー」、無着陸無給油・単独飛行による世界一周飛行を達成した「グローバルフライヤー」、民間機として世界初の高度100kmの宇宙に到達した「スペースシップワン」などを開発――それらの展示の一番先頭には、ティーン時代のルータンが作った模型飛行機が、20代の彼が作った最初のホームビルト機「バリ・ビゲン」と並んで展示されている。

 模型飛行機、ホームビルト機、そして数々の世界記録を達成した技術的に先鋭な機体――これらはルータンの経歴の中で、一直線に並んでいるのである。

(次回に続く)