レースと長距離飛行、そして資金力と政治力

 第二次世界大戦終結後の米国におけるホームビルト機の復興は、意外にもエアレース――複数の機体が周回コースを同時に飛行して順位を競うスカイスポーツ――から始まった。米国では1920年からNational Air Raceというエアレースが開催されていた。第二次世界大戦中は中断していたが、1946年、タイヤメーカーの米グッドイヤーがスポンサーに付き、National Air Raceが復活する(その後1950年まで毎年開催)。1947年、このレースに「ベビークラス」という超小型機のカテゴリーが新設された。ところが、このクラスに合致する市販の機体が存在しなかった。なければ自分で作るまでのこと――戦争を乗り越えたホームビルダーたちは、レース用の機体を作るところから、飛行機の自作に復帰していったのである。

エアレースに参加する自作機は、今でも技術革新の源泉のひとつである。この機体はリノ・エアレース(毎年9月にネバダ州リノで開催される大規模なエアレース)の「スポーツクラス」というカテゴリーで2007年に優勝した「ネメシスNXT」(ただしこの機体は優勝したその機体ではなく同型機)。最高速度は600km/hを超え、かつての零戦よりもはるかに速い。そんな機体が、オシコシでは当たり前のように展示参加していた。

 さらに、ホームビルト機をきちんと社会の中に位置付けられたものにしようとする運動も始まった。1947年にはGeorge Bogardusというパイロットが「Little Gee Bee」というホームビルト機で、オレゴン州からワシントンD.C.までの米大陸横断飛行を実施した。これはホームビルト機が十分な安全性を持っていることを社会にアピールすることを目的としたデモンストレーションだった。民間におけるこれらの活動を受けて、米国では1948年に法制度の中にホームビルト機というカテゴリーが新設された。

1947年に北米大陸横断飛行を行ったホームビルト機「Little Gee Bee」。この機は現在、時代を代表する機体としてスミソニアン航空宇宙博物館に展示されている。(画像:Smithsonian Institution)

 そして1953年、ウィスコンシン州在住の起業家でアマチュアパイロットであったポール・ポベリッツニー(Paul Poberezny)が自宅を本部として自作航空機愛好家の非営利団体であるEAAを立ち上げる。ポベリッツニーは同時に、米メカニクス・イラストレイテッド誌にホームビルト機の記事を寄稿してその普及に努めた。EAAは瞬く間に会員を増やし、米国内における趣味・愛好家の団体としては最大規模にまで成長し、海外にも支部を設けていった。会員数が増えたことにより、EAAは資金力と政治力の両方を手に入れ、その力でホームビルト機が社会制度によりオーソライズされた趣味となる環境を整備していったのである。