こうして航空機という道具の存在が世に知られるようになると「こんなものなら自分でも作れそうだ」と、ぼつぼつと航空機を自作するアマチュアが出現しはじめた。1927年5月、チャールズ・リンドバーグがニューヨーク・パリ間単独無着陸飛行を成功させて、大ニュースとなった。これにより航空に興味を持つ者の数が一気に増加した。

最初のホームビルト機の誕生

 最初のホームビルト機と目されているのが、1928年にBernard H. Pietenpolという技術者が設計・製作して初飛行に成功した「エア・キャンパー」という機体だ。Pietenpolは独学で航空工学を修め、自分のためにエア・キャンパーを設計した。主翼の下に胴体をつり下げるパラソル型という形式で、主な材料はスプルース(マツ科トウヒの樹木。北米では一般的な建材)の角材とベニヤ板。作りやすく、安定性が良く操縦しやすいという特徴を持っていた。

エア・キャンパーの飛行。初飛行から90年を経て、エア・キャンパーは今も世界のどこかで作られ、飛んでいる。これはスウェーデンで作られた機体(再生すると音が出ます)。

 Pietenpolは設計図と製造のためのマニュアルを出版・流通させた。図面とマニュアルがあれば、後は器用な手先と少々の道具、機体を作る場所に完成まで粘る根気とで、確実に飛行することが保証された機体を作ることができる。このため、アメリカだけではなく欧州でもエア・キャンパーを作る者が現れ、世界的ヒット作となった。さらには、知的所有権にうるさくないアマチュア向けの設計のためか改良型・改造型も次々に出現した。エア・キャンパーはPietenpolが1960年代まで機体の改良を行ったため、息長く世界各地のアマチュア・ホームビルダーによって製造され続けた。

初期のホームビルダーの典型的工房を再現した展示。
1930年代に流通していたホームビルト機の設計図やマニュアル類(右)。

 1930年代、図面やマニュアル、そして関連書籍という形でホームビルト機の情報は拡がっていった。ただし、この時点でのホームビルト機はきちんと社会制度としてオーソライズされたものではなかった。米商務省の調査によると、1930年末の時点で米国内には2464機の法的にはグレーな未登録航空機が存在し、そのかなりの部分が自作のホームビルト機だったという。

 このため、制度の整備が進むにつれて「野放しは危険である」とホームビルト機に規制がかかりはじめた。機体登録の維持の手間は増大し、コストもアマチュアの負担できる額ではなくなっていった。1939年には第二次世界大戦が始まる。安全のための規制強化と戦争――ホームビルト機の活動は縮小し、そのまま終わってしまうかに思えた。