Y:みんなダイダロスの真似というか、強い影響を受けている、ということですか?

四戸:ダイダロスの示した基本コンセプトに乗って、より一層洗練させる、という方向で機体を開発しているんです。

 ダイダロスは、当時MITの助教授、現在は教授のマーク・ドレラという方が設計しています。ところがですね、ドレラは、ダイダロスの設計は決して理想ではなく、「この予算・この期間」という既定の枠の中で最大の成果を出すための設計だ、と明言しています。彼はダイダロスのために新たにDAEという翼型を開発しました。

Y:翼型ってのは翼の断面形ですね。

四戸:そう。航空機の性能に大きな影響を与える部位ですね。DAEは非常に変わった形の翼型でして、私も最初は「なんでこんな形にしたんだろう」と不思議だったんですが、「翼の後ろ半分がフィルムを貼る構造だった場合に、飛んだ時に変形して最適形状になる翼型」だったんです。抵抗が小さく、捩じり荷重も極めて小さい優秀な層流翼型です。

松浦:つまり機体構造から考えて「その構造で最適になる翼型」を開発したんですか! すごい。単に機体の性能だけ考えていたらそういう発想はでてこない。

四戸:しかもその機体構造はといえば、「何度落ちてもすぐに修理できて飛行にリトライできる」という観点で決めて行ったそうです。で、今、琵琶湖で飛んでいる機体は例外なくDAEを使うんです。

 これはもう設計の総合力の勝利ですよ。ダイダロスのチームは、期間と金額を限った状態で、その制限内で世界記録を出すにはどうしたらいいか、という視点で設計を行っていったんです。それでいて性能が悪いかというとそうではないですしね。もしも琵琶湖にマーク・ドレラが殴り込んできたら、琵琶湖の条件と資金と開発期間に最適な、全く異なる設計コンセプトで勝負をかけてくるでしょう、それに設計レベルで勝てるかどうか……。

鳥人間コンテストが日本の航空技術を押さえつけていないか

四戸:こういう設計能力の格差は鳥人間以前からありました。いや、設計というよりむしろ発想力の差なのかも知れません。クレーマー賞はご存知ですか。

松浦:人力飛行機に懸賞金を出した賞ですよね。8の字飛行を行ったチームに賞金を出すという。

四戸:ええ。この賞はアメリカのポール・マクレディが「ゴッサマー・コンドル」という機体を開発して、1977年に8の字飛行を実施して獲得しました。

スミソニアン航空宇宙博物館別館に展示されている「ゴッサマー・コンドル」(写真上方、撮影:松浦晋也)。下の機体はティルトローター実験機のベルXV-15(1977年初飛行)。オスプレイ実用化に向けた試験機といえる機体。

 ここでゴッサマー・コンドルの設計コンセプトを確認しましょう。根本にあるのは「人間の脚力は、300W以上の出力を出すとすぐに疲れてしまって後が続かなくなる。けれど、300Wぐらいだったらけっこう長時間出力を発生することができる」という事実です。ですから、ゴッサマー・コンドルは、ゆっくりふわふわ飛ぶので構わないから、300W以下の出力で長時間飛ぶことができる機体として設計されました。

 ゆっくり飛ぶので、張り線を使って機体強度を保つ設計です。遅いと張り線の空気抵抗はさほど大きくなりません。むしろ張り線を使うことによる重量軽減の効果の方が大きいです。後は8の字飛行の障害となる風がない日をずっと風待ちできる体制を整え、それで8の字飛行を成功させました。

 そうしたら、日本の人力飛行機はみんな「ゴッサマー・コンドル」の真似をし始めたんです。

 ところで、クレーマー賞は、ひとつ目的を達成すると次の目的を、という賞でして、次は人力飛行機によるドーバー海峡横断でした。これもマクレディが「ゴッサマー・アルバトロス」という機体で成功させてクレーマー賞を取りました。次の目標は太陽電池をエネルギー源とするソーラープレーンによるドーバー海峡横断で、これまたマクレディが「ゴッサマー・ペンギン」という機体で獲得しました。

マクレディが設計したソーラープレーン「ゴッサマー・ペンギン」。一連のゴッサマーシリーズは同じコンセプトで設計されている。(画像:By NASA - http://www.dfrc.nasa.gov/gallery/photo/Albatross/HTML/ECN-13413.html, Public Domain, Link

 その次に設定されたのが、人力飛行機による速度と運動性を試す、という目標でした。全長1500mの三角形コースを2分以内に回れ、というものです。

 今度はドイツのギュンター・ローヘルトという方が、全複合材料製の、つまりはフィルムを貼るタイプではなくてかっちりとした超高速型の機体「マスキュレアー2」を作って獲得したんです。この機体の基本コンセプトは、ゴッサマー・コンドルの逆です。「人間の脚力は、数分なら600Wぐらいの出力を出すことができる。だから出力600Wを前提にして、2分で1500mを飛びきる高速型の機体を作ろう」なんですよ。高速型ですから張り線なんて空気抵抗のもととなる構造は論外です。支柱や張り線が不要で、かつ高精度の表面仕上げが可能な構造が採用されました。

ローヘルトが設計した高速型人力飛行機「マスキュレアー2」。現在はミュンヘンのドイツ博物館航空別館に展示されている(撮影:松浦晋也)。一見して、マクレディのゴッサマーシリーズと全く異なるコンセプトで設計されていることがはっきり分かる。

 実はマスキュレアー2は、1976年に日本大学が開発して、2094mという当時の飛行距離世界記録を出した人力飛行機「ストーク」に触発されたんです。これはローヘルトが論文にはっきりとそう書いています。ストークは、設計を高速側に振った、当時としては画期的な機体だったんです。

 つまりですね。結局、日本の人力飛行機というか、ソーラープレーンも含めた極小動力航空機は、海外の動向で右往左往してしまって、記録を全部海外に持っていかれたんです。ストークのような、せっかく国内で芽生えていた良い発想を掘り起こすことができなかったんです。そして現在はといえば、ダイダロスをひたすら磨き上げる競技会ばかりになってしまった。

 とは言え、ダイダロスを踏襲するだけでもたいへんな技術が必要です。60人乗り旅客機YS-11と同等のスパン(翼幅)を持ち、パイロットよりずっと軽い「飛行する構造物」を作ること自体、容易ではありません。そのために、上位チームは長い年月とすさまじい努力を重ねてきました。それはよく理解できますし、この競技に参加している方の熱意を軽んじるつもりはもちろんありません。

 だけれど私には、現状の琵琶湖の鳥人間コンテストは、「ダイダロス」という解答の示された「道」をひたすら追求するという非常に日本人的な姿、いわば「ダイダロス道」を一生懸命に追究しているように思えます。ダイダロス以外にも参照すべき膨大な過去の財産、航空技術、工学知識があるのに、「正解はこれだ」という認識が生まれ、機能しているために、今では日本の航空時術を押さえつける蓋にさえなっているように感じます。日本において、みんなが飛行機を作ってわっと盛り上がれる貴重な場所であり、とっても良いイベントなんですよ。もっと落ち着いて、木だけではなく森を見て、つまり体系的な知識を基盤に据えて、そのうえで独自の発想を競えたらどんなにすばらしいか。

 そこで思い出すのは本庄季郎先生のことです。1977年の第1回鳥人間コンテストで優勝したのは、当時すでに70歳を超えておられた本庄先生が設計した「H-7」という機体なんですよ。本庄先生は、別に主催者に呼ばれたわけではなく、自発的に参加して、それで優勝したんです。本庄先生の機体が見事な飛行を披露した結果、鳥人間コンテストは1回限りの番組から、毎年開催するイベントへと昇格しました。ちなみに審査員の側には、木村秀政先生がおられました。

Y:かつての仲間の前で「へへ、俺作っちゃったもんね。すごいだろ」とやったわけですか。

「なにがなんでも作りたい」意欲

四戸:本庄先生は、戦前から戦中にかけて三菱の航空部門の最先端にいた方です。もしも機体が失敗したら「本庄も老いたな」とか陰口を言われたでしょう。晩節を汚すことも恐れずに鳥人間コンテストに挑んだ姿勢には、先生のエンジニアとしての飽くなき意欲を感じます。これこそが、いまMRJに欠けている要素ではないかと思います。私は、今の三菱のエンジニアに「なにがなんでも作りたい」という意欲があるのか、と疑問を覚えるんですよ。

Y:それは、精神論のようにも聞こえますが。

四戸:いいえ。仕事を離れても、自分が損をしようが得をしようが、自分で作りたいという喉の渇きにも似た意欲が、航空機の設計には不可欠なんです。

松浦:正解がないところに道を作ろうというなら、普通の仕事のモチベーションでは足りない、ということでしょうか。

マーク・ドレラ(1959~):マサチューセッツ工科大学・航空宇宙学科教授。人力飛行機の長距離記録を保持する機体「ダイダロス」の設計者。人力飛行機の分野においてはカリスマ的存在である。氏の業績ならびにダイダロスについてはこちら

クレーマー賞:1959年にイギリスの実業家ヘンリー・クレーマーが創設した人力飛行機の賞。英王立航空学会が賞のマネジメントを担当している。当初は人力飛行での8の字飛行を最初に達成した者に対して賞金を出すというものだったが、課題達成に応じて目標を次々に変え、航空関係者の技術開発を促進している。

ポール・マクレディ(1925~2007):アメリカの航空機設計者。ゴッサマー・コンドルによるクレーマー賞獲得に始まり、人力飛行機と太陽電池を動力とするソーラープレーンの分野に重要な貢献をした。白亜紀の翼竜ケツァルコアトルスの模型を飛行させ、翼竜が実際に飛行可能であったことも実証している。

ギュンター・ローヘルト(1939~):ドイツの航空機設計者。世界最初期の太陽電池動力のソーラープレーン「ソルエアI」を1980年に飛行させるなど、ソーラープレーンと人力飛行機の両面での実績を持つ。

ストーク:日本大学が1976年に開発した人力飛行機。日本大学は1963年から木村秀政教授を中心に、学生の卒業研究として人力飛行機の開発を開始した。ストークは一度墜落、大破したものの、その後修復されて「ストークB」と改名。1977年1月に2093.9mの当時の飛行距離世界記録を出した。同機は、180度の旋回飛行も成功させておりこの時点では8の字飛行のクレーマー賞獲得の最有力候補であった。