四戸:そういうことです。優れた先達から教えと刺激を受けるというのは、設計者としての自分を伸ばしていくためには大変に大事なことで、藤野さんはそれを米国で実行したんです。私が木村秀政先生や本庄季郎先生から学んだのと同じです。

 マンツーマンの指導を受けることで、前にお話しした飛行機を全体で見る「掴み感」が身に付きます。設計を見て、「あ、これはこうだ」「これは良い」あるいは「これは悪い」と、設計全体を大づかみに把握する「設計感」あるいは「評価感」といっても良いかも知れません。この感覚がないと良い設計はできません。

 これは、三菱重工のMRJに欠けていた部分でもあります。なにしろ前にご説明したとおり、日本の航空産業は米国が無制限に開示する最新技術満載の図面を学ぶことで中毒になってしまいました。その結果、「学ぶのに長けた人」ばかりをエンジニアとして重用しました。そういう人は、「評価感」が身に付いていないんです。評価どころか「正解」だと決まっているものだけを見て仕事をするわけですから、評価の感覚なんて身に付くはずがありません。

 藤野さんの「よし、これで俺はとりあえず軽飛行機は設計できる」と思ったというエピソードは大変重要なマイルストーンです。なぜならば軽飛行機が設計できるスキルがなくて、旅客機を設計できるわけがありませんから。

松浦:バート・ルータンの会社の社是「自作の飛行機を操縦して飛ばないと一人前じゃない」につながる話ですね。ということは、今の三菱重工やスバルに軽飛行機を設計できる技術者が在籍しているかというと……。

いま、オリンポスには大手企業の依頼が続々来ています

四戸:私は、おそらくいないと思います。そしてホンダであっても、藤野さんを置いて他にいたとは思えません。藤野道格という、したたかで戦略的なエンジニアがいたことこそが、ホンダジェット成功の理由なんですよ。

Y:企業勤めの会社員の私からすると、それでも「いや、大組織の資金力や組織力がなければ、飛行機の設計なんてできないはず」という思い込みがつい頭をもたげるのですが。

四戸:実は今、オリンポスは、連日大手企業の方がコンサルティングの依頼にやってくるという状況です。なんで皆さん、こんな青梅の山奥の小さな会社にまでコンサルを頼みにやってくるのか――まあ、私が歳を食ったということもありますし、八谷和彦さんが「オープンスカイ」のような目立つ仕事を私に依頼してくれたので、知名度が上がったということもあるでしょう。でも、これはとても喜べた状況ではないと考えています。

 グランドキャニオンみたいなもので、自分が隆起したんじゃなくて、周りがどんどん浸食され、気が付くと高台としてオリンポスが残ったという感じなんです。

 他所の方がどう思われるかはご自由ですが、私は本気で、自分自身の体験で掴み感・大局観を身に付けている我がオリンポスのスタッフは、三菱重工のエンジニアより優れている、と思っています。それは飛行機一筋でやってきた自負でありますが、同時に大変危険な状況でもあるわけです。

エクリプス500:米国の航空ベンチャー、エクリプス・アビエーション社が開発した6人乗り自家用ジェット機。2002年に初飛行し、2006年から販売が始まったが、2008年同社倒産により一時販売は中断。その後再生したエクリプス・エアロスペース社が引き継ぎ、最終的に260機を生産した。

エクリプス500(画像 英語版Wikipediaより)

T字尾翼:垂直尾翼の上に水平尾翼を載せた尾翼の形式。前から見るとTの文字の形に見えるので、このように呼ばれる。

ロッキードC-5:米ロッキード(現ロッキード・マーティン)が米空軍向けに開発した大型軍用輸送機。愛称は「ギャラクシー」。1968年に初飛行。当時は世界最大の輸送機であった。現在も米空軍が使用しており、一部の機体は性能増強の改修を受けて「C-5Mスーパーギャラクシー」という名称になっている。

ロッキードC-5輸送機(画像:米空軍)

BD-5:米ビーディ・エアクラフトが1971年に初飛行させた超小型自家用機。全長4.13m、全幅6.55m、本体重量161kg、エンジン出力70馬力と超小型軽量ながら高性能と流麗なスタイルを両立させた設計で、1970年代に高い人気を誇った。完成した機体と、購入者が自分で組み立てるホームビルト・キットの2種類の形態で販売され、現在も30機程度が米国内を中心に飛行している。日本でも、1970年代に日本コカコーラがコーラ/ファンタの景品としてBD-5の模型飛行機を頒布したので、50代以上の飛行機マニアには馴染みの深い機体である。

スミソニアン航空宇宙博物館別館に展示されていたBD-5(撮影:松浦晋也)

ブラジルの航空産業は、ドイツの遠い子孫

Y:ところで、そうなると「エンブラエルのあるブラジルってどうなっているの」ということが気になります。日本から見たら、工業国としてのブラジルは、はっきり言って高い印象を持っている人は少ないはずです。ところが今やエンブラエルは国際的なリージョナル機のメーカーとなっています。ブラジルの航空産業は、どうやってこの水準に到達したんでしょうか。

四戸:一般の方は実情を知りませんから、「ええっ、三菱がブラジルに負けるの?」と思うでしょうね。ブラジルの方には本当に申しわけないんですが。

 南米は昔から、戦争に負けた側の避難所だったんです。第二次世界大戦が終わった時、ナチスの残党の一部が南米に逃げたじゃないですか。あれと同じことが技術者でも起きているんです。ですから、南米の基幹産業の中には、ドイツの優れた技術者の薫陶を受けた人達がいて、次の世代を育ててきたんです。

松浦:アルゼンチンが多かったですね。クルト・タンクが行って、それから同じくドイツのホルテン兄弟も弟がアルゼンチンに行きましたよね。

四戸:ホルテンは意固地に無尾翼機にこだわりましたけれど、非常に高い技術力を持っていました。高い技術を持った人がいると、周りにそれを学びたい若者や子どもが集まってくるんですよね。集まってきた連中は、目の前にいるのは憧れの存在ですから、自分もそうなりたいと思います。すると無理に教えなくたって自然と勉強するようになるんですよ。戦争に負けた側の技術者が南米に新天地を求めて、彼らが種子となって、ブラジルの航空産業が始まったんです。

Y:ブラジルの航空産業は、第二次大戦ごろのドイツの航空産業の遠い子孫みたいな感じなんですか。

四戸:そうです。

Y:それは手強いはずだわ。