松浦:1980年代前半ぐらいまでは、そんな感じだったんでしょうか。

四戸:それぐらいまでですね。皆さんもう定年延長を何度も重ねたような方達で、当然YS-11の審査にも参加した経験がありました。ところが1980年代半ばになると、その方たちが一斉に退職されてしまいました。

 すると後任は飛行機を自分で設計・製造した経験はおろか、検査経験すらない人が担当せざるを得なくなる。どういうことになるかと言えば、よく私はシェフに例えるんですが、「料理評論家は評論できるかもしれない。けれども……」

松浦:「料理を作ることはできない」と。

四戸:そうです。調理のやり方が、どうやればおいしくなるかが分かってない人ばかりになるんです。そのうちに、同じたとえでいうと、食べたことがない料理評論家のような人まで審査する側に回るようになりました。権限を持ち、しかし実際を知らないわけですから、結局、先輩の形だけを真似するしかなくなりますよね。

Y:「決まりを守っているか否か」だけを見るしかない。

四戸:そしてその決まりの元は、いささかお粗末な翻訳文書なのです。

 そんなところに、海外からの新型機が入ると、向こうから審査関連の書類が来るわけです。ボーイングから来る、ロッキードから来る、エアバスからも来ます。

松浦:どうやって審査していたんでしょう。

「これに全部、判子つかなきゃいけないんだよ」

四戸:思い出話になっちゃいますが、たとえば1980年代の後半、エアバスのA300-600旅客機が日本に導入された時期に会った審査官の方は、「マニュアル類に判子をつくのが大変なんだよ」と言っていました。航空局の机の後ろに棚があるんです。で、エアバス関連の書類がだーっと並んでいるんですよ。で、「これに全部判子つかなきゃならないんだ」というわけですよ。「日本の航空局が安全性を確認しました」という体裁を整えねばいけないですから。

Y:ちょっと待ってください。判子をつく、って、具体的には?

四戸:日本側が提出した書類の内容が、ボーイングやエアバスが出した仕様書と同じであるかというマッチングです。正確に言うと、だと思います。こんなことを覚えているのは、そのとき私は航空局の方に「あんたらのところの小さな機体を検査している暇はないんだ」と、はっきり言われましたので(笑)。

松浦:判子を押すのに忙しい。お前の機体など審査している場合じゃない、と。

四戸:「ああ、そうですか」という感じでした。

Y:実機の検査で忙しい、操縦するのが大変だ、という苦労話ではなくて、判子つくのが大変だ、と……。

四戸:航空法は申請があった場合に国は耐空証明の検査をするのが義務だと明記しています。そして耐空証明を取得していない機体を飛ばすことは禁じられています。つまり申請のあった機種は検査しなくてはいけないのです。

 ですので、航空局の人が、ボーイングやエアバスなどの機体を飛ばしたことがない、とまでは言いません。しかし、それらの機体のテストフライトを通して、FAAの検査官が見逃していた不備や、将来的に予測できるトラブルを発見する、といった、実効的な検査をする能力を持つ人材が航空局にいたのかどうか、それは大いに疑問です。

SI単位系:国際単位系(SIはフランス後のSystéme International d'unitésの略)のこと。メートル法を発展させた単位系として、国際度量衡委員会が策定した。メートル、キログラム 秒、アンペアなどの7つの基本単位から全ての単位を定義していく。合理的で複数単位の関係する物理計算が簡単になるという特徴を持ち、近年、伝統的な単位系に変わって広い分野で使われるようになっている。

頓所好勝(とんどころ・よしかつ、1915~1999):長野県出身。中学卒業後、農業の傍ら模型グライダーの設計制作を始め、やがて実機の開発を志向するようになる。ドイツ語の原書を読んで航空機設計を独学。1935年、独力で設計・制作した「頓所式1型グライダー」で飛行することに成功した。同機は逓信省・航空局から「国産懸垂式グライダー1号耐航証明書1号」を取得した。日本のハンググライダーの始祖である。その後霧ヶ峰高原を拠点にグライダーの開発を進め、戦後は航空検査官を務めた。

MRJは審査技術底上げの大チャンスでもあるはず

Y:そういえば、八谷和彦さんの「メーヴェ」こと「M-02J」は、操縦方法が普通の飛行機と全然違いますよね。あの機体の審査をした航空局の方は、どうされたんですか。

フライト中のM-02J 撮影:香河英史
フライト中のM-02J 撮影:香河英史

四戸:これはもうはっきり言いますけど、M-02Jのときは航空局の人は実機を一切見に来ませんでした。オーナーの八谷さんに納品した後もそうだと思います。

 あくまでも「高度3m以下のジャンプ飛行を何十回やったか」とか、「滑走試験を何回やったか」という、その回数とか距離の数字を見るだけなんです。これはM-02Jに限らず、私が開発した機体ほぼすべてでそうです。

 ですから、私は、航空局にとってMRJの審査はもう、災難以外の何ものでもなかったのではないかと思います。さっきの料理のたとえで言えば「食べたことはある。出来上がった、完成した料理に対する衛生基準とか、あるいは味覚とかに関する判定はできる」と。米国のFAAなり欧州のEASAなりが用意した「正解」があるわけですから。

 MRJの場合は、ゼロベースから開発した、新しい料理なわけです。料理、すなわち航空機の開発経験のある人はいませんから、その料理そのものに対して「許可をくれ」と言われても判断できない、と思いませんか。今、開発の中心と審査が米国に移っていますが、ほっとしているのではないでしょうか。

松浦:いやいや、でも、久々の国産旅客機の開発である以上、航空局は当然、それだけの準備をしていたのではないでしょうか。何より、審査技術を底上げする大チャンスでしょう。

四戸:ええ、MRJの審査のために航空局は岐阜に出張所をつくりました。人材も募集した。そして、FAAの検査官を講師として連れてきて、検査官を岐阜に缶詰にして審査の講習会をやったと聞いています。

Y:なるほど。

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