自国の新型機がなければ、ゼロからの審査経験も得られない

四戸:航空行政は、エアラインのような運航側に関しては比較的早期に整備されました。というのは、エアライン運航の手順は万国共通なんですよ。どの航空会社も初期は、米国の軍人上がりのパイロットをものすごい高給で雇って旅客機を飛ばしていたでしょ。

松浦:そうですね。

四戸:当時は航空会社のパイロットと言えば、ほぼ100%米国人でしたからね、その状態で、当然ながら今のかなり不平等なエアラインの条約も結ぶことにもなりました。とはいいながら、そういうことができたからこそ、比較的短期間で運航に関する法律が整備できたのだと思います。機材は海外から入ってきて、パイロットは米国人。それで各地に定期便を実地に運行しつつ、迷うことがあれば米国をお手本にしていくことで、短期間で運航に関する規則が整備されたんです。

 それに対して航空機の開発はというと、まず当時の運輸省が耐空性審査要領という基準を作ったんです。これは米国の連邦航空局(FAA)が定める「FAR Airworthiness Standards」という耐空性基準をそのまま翻訳したものでした。滑空機に関しては、欧州の「OSTIV Airworthiness standard」を原文としています。建前としては省の定めたオリジナルの審査要領なのですけれども。

 ところで、もとがStandardsなら「審査基準」と訳さねばなりません。それがなぜ「審査要領」となっているかと言いますと、役所の側に「基準を満たせば許可をする」と言い切ることが可能なだけの、航空機を実際に審査する技量がないからです。

Y:日本には航空機を審査する明確な「基準」が現在も無いってことですか。なぜ。

四戸:現実にそれにのっとって新型航空機を審査する機会がなかったからです。

Y:新型航空機が出てこないから、実際に審査をする機会がない……でも、自衛隊用の機材は日本でも開発していますよね。

四戸:大戦後日本で造った飛行機の大半は米国の軍用機のライセンスです。F-86、F-104、F-4、F-15、みなそうです。しかも軍用機ですから自衛隊法によって耐空性証明が免除になっています。ということで、日本の航空産業は民間機としての耐空証明を取るノウハウを得る機会がなかったんです。

YS-11は最終的には米国が審査していた

Y:……あ、でも、YS-11がありましたよ。

四戸:はい。日本の航空産業はYS-11を開発した時に初めて、今のMRJの開発当初と同じようにオールジャパンという掛け声で、耐空性審査の体制を整備し始めたんですね。なおかつ、米国と日本の間では相互認証協定があります。「お互いの国で審査し合格した飛行機は、自分の国の審査も通過したものとして認め合いましょう」という協定です。

 YS-11の時には、日本は米国の耐空審査基準を翻訳した耐空性審査要領にのっとって審査をしようとしたんですが、やりきれませんでした。

松浦:ええっ、YS-11の時点でできなかったんですか。

四戸:できませんでした。YS-11の時点でも結局日本人パイロットによる飛行試験だけでは、検査しきれなかったんです。

 YS-11は、離陸直後、二基のエンジンのうち一発が停止してもリカバリー可能に、という、双発機にとってみるとものすごくつらい最新の規格を世界で最初に通った機体なんです。当初設計では、試験飛行で一発停めると、機体が横滑りするのを止めることができずに、乗っていた人は相当怖い思いをしたそうです。

Y:それでどうなったんですか?

四戸:その後、米国からFAAの検査官がやってきて操縦して、ダメ出しをしました。これによってYS-11には大規模な改修が行われます。

 改修後の最終審査では、米国から来たFAAの検査官が、事前のレクチャーもなしにすぐに機体を操縦し、離陸直後にいきなりすとんと片側のエンジンを止め、横滑りする機体をうまく操ってピタリと止めたそうです。

 YS-11の開発史を紐解くと、試験1号機は安定性の不足に悩まされ、小改修を繰り返した。1963年3月20日、FAAからマイヤスバーグ国際部長、ローゼンバウム構造関係担当官が来日。一週間後の3月27日の第39回試験飛行で実際に機体を操縦し、「YS-11の安定性はマージナル(良いか悪いかギリギリのところにあるという意味)であり、ノーだ」と指摘した。それまで日本側は小改修で大丈夫と思っていたので、FAAからの「ノー」の指摘で大騒ぎとなり、機体の大規模改修を行うまでに至った。つまり、日本側の審査体制は「機体を小改修で済ませるか、それとも大規模改修すべきか」の判断ができなかったのである。

 ここから機体の審査にFAAが積極的に入ってくるようになる。機体開発関係者のひとりは「(運輸省の)航空局にいくら質問しても明確な回答がないので、FAAの検査官に直接聞こうとしたら、航空局から“我々を通して質問するように”と言われた」と回想している。

 1964年5月28日に、FAAによるYS-11最終審査が行われる。この時、FAAのピーターソン検査官は、事前に操縦関連のレクチャーを受けていなかったにもかかわらず、機体の操縦を希望。操縦席に座った彼は離陸直後に「エンジン、カット」と叫び片方のエンジンをいきなり停止し、YS-11が離陸直後のエンジン1基停止でも安全性を保てることを確認した。ピーターソンの突然の行動に、同乗した日本側関係者は大きなショックを受けたという。エンジン停止のような危険な試験は、十分機体の操縦に慣れてから行うものと考えていたからである。それだけ、ピーターソンの操縦技能は高かったのであった。

参考文献:前間孝則著「YS-11 国産旅客機を創った男たち」(1994年 講談社)

Y:FAAの検査官は自分で操縦して、意図的に異常事態をつくりだしてテストする。その技量があるから、テストに信頼性が生まれるし、自信を持って「基準」と言い切れると。

四戸:そうです。審査に至るまでに、メーカー所属のパイロットが事前に試験を行って、最後に検査官の操縦で確認するんです。それが普通の流れなんです。ところが米国の検査官は、いきなり、マニュアルを読んでちょっと操縦しただけでそこまで機体を振り回せるんですから、もう何というんですかね、すさまじいばかりのキャリアの差ですよね。

松浦:でもYS-11の開発時点ではまだ日本でも、旧軍のエース級のパイロットがまだ何人も現役で飛んでいましたよね。

四戸:いっぱいいました。

松浦:そういう人材を使うという発想はなかったんですか。

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