四戸:自分の育った1970年代の青森ですと、まだ一升瓶を枕にして寝ているようなアウトローな学校の先生というのが結構いたんです。

Y:ああ、私の高校にも酔っぱらって出勤してくる先生がいました。

四戸:そうですか。松本零士さんの描く「男おいどん」みたいな感じの教師というのがまだ日本にも結構いたんですね。そういう方たちは、目の前の単位を取ろうが、取るまいが、そんなにうるさくなかったんです。良い意味で放置してくれた。

Y:そのアウトローな先生から、図面の引き方とか計算のやり方とか、体系的に学ぶ機会があったとか。

「リアルキッザニア」で鍛えられました

四戸:いえ、もう全部独学です。父は工業高校の教師でした。そんな関係で、小学生のころから製図板とか製図機とか、身近にありました。計算尺を、卒業した学生が置いていっちゃうものですから、父が持って帰ってくるんですよ。それが私に回ってきたり。

 しかも母の実家はバイク屋で、そこに三沢基地の米軍さんが持ち込んだハーレーが修理に入ってきたりするんです。祖父の手伝いという名目で、もう10歳ぐらいの時からやりたい放題でした。時効だから言っちゃいますが、その歳で自動車運転したり、バイク乗ったり、隠れてガス溶接やったり、エンジンばらしちゃったり――そういう環境は確かに今の自分になるにあたって大きな要因でした。非常に特殊な少年だったのは間違いないです。

Y:やりたいことをやりたい放題やって、しかも邪魔する大人がいなかった。

四戸:私の場合、親は普段私がどこにいるか知りませんでした。自転車で親戚の家を泊まり歩いていたんです。まだ本家、分家みたいな関係がしっかりありましたから、本家の跡継ぎだった私を拒絶せずに泊めてくれるんですよ。そうすると分家筋には、床屋さんがある、畳屋さんがある、板金屋さんがある。馬の蹄鉄を作っているところがある、鍛冶屋さんがある、郵便局長がいる――もうありとあらゆる職業があっ職業見学そのものです。

Y:リアルキッザニアみたいな感じで、社会体験ができたと(笑)。

四戸:ああ、そうですね。リアルキッザニアです。都会的な意味で自由だったわけじゃないですよ。田舎の権力構造の中で生きていましたから、「お前は医者か教師になれ、その上で大人になったら選挙に出馬しろ」という圧力が私にはずっとかかっていました。そういうことは、子供ながらにもう分かっていましたから、中学までは好き勝手やりながら、将来についてはおとなしく言うことを聞くふりをしていました。

Y:なるほど。

四戸:それで高校生になった瞬間に……

Y:反逆が始まったわけですか。

四戸:親族会議を開いたときに、「必ず何かしら田舎に恩返しする形にはするから、僕をここから出してくれ」と言って東京に出て来たんです。その田舎も、もう今はないですけどね。

 私は小学校のころからずっと航空機の設計がやりたくて、先ほど話したドイツの教育に近いような環境にいたんです。その結果として、大学に入った時点ではもうセミプロ状態になっていたんですね。実は中学校のときに描いた図面を大学のときに提出してそのまま単位を取ったこともあります。

キッザニア:主に小学生までの子どもが大人の職業を実際に体験できるテーマパーク。約80種類の職業が用意されていて、かなり本格的な職業体験が可能。1999年にメキシコで開園したのを皮切りに、世界中に広がった。日本では、キッザニア東京(東京・豊洲)とキッザニア甲子園(兵庫県西宮市)が営業している。

Y:極めて早熟に実務的な知識を技量を身につけて、大学出てすぐに起業して……それでも、すぐに飛行機を作ることができるようになったわけではなかったのですよね。