自動車産業とここが違った

四戸:話を戻しますが、日本の航空産業がなぜ今の状態になったのか、ドイツとどこが違ったのかというと、次世代教育における旬の時期を逃したことがひとつの大きな要因だと思っています。15歳から17歳ぐらいで、夢中になって集中して飛行機に触れ、自分で設計し、飛んでみるって体験を得る機会が、日本はほとんどないんです。

 ドイツは早い時期にグライダーを解禁に持ち込んだことで、15歳から17歳の子たちが実物に触れて「飛行機ってこういうものだ」という感覚を体に叩き込む場を継続的に提供することができたんです。

松浦:日本も戦前は軍事教練の一環として、中学校に積極的にグライダーを配布していましたね。だから昭和一桁生まれの世代だと「グライダー? 中学校で乗ったよ」という人がけっこういました。

四戸:そのグライダーは「文部省式一型」と言います。軍事教練用と言われることがありますが、違いますよ。文部省がドイツを参考に「体育教育」として全国の旧制中学に漏れなく配布したものなんです。

四戸:子供のころに、自分で触り、飛ぶ。あるいは設計も行う。そういう経験があると、大人になってからでも、自分の意志でリスクをとることができるようになるんですよ。新しいことをするにあたって、「怖くてもここは進まなくちゃダメだ」ということが本能的に分かるようになる。ところが後からの知識だけしかないと、やはり人間どうしても怖くなりますでしょう。

 しかも、冷戦の時期は米国から航空機の新知識がどんどん入ってくる状態だったわけで、加えて下請けで、お金もどんどん入ってきて会社経営も安泰です。こうなるとその状態から抜け出せなくなって、状況が変化した後も、ずるずると今までと同じ態度で来てしまったんでしょう。

Y:例えば、自動車産業と比較したらどうなりますか?

松浦:自動車の場合は、1960年代にマイカーブームがあって、そのタイミングで15歳から17歳だった人達が本物に触れているんだよね。その中から、「自動車こそ我が人生」と思い定めた人々がまた自動車産業に入って、産業全体を盛り上げていったんですね。航空機はそれがなかった。それで、戦前からの人材が引退すると、1970年代以降、ぶつっと切れてしまったんだ。

非常に特殊な少年だったのは間違いないです

Y:こんな日本の航空機産業の環境下で「自分で設計すること」にこだわり抜いて、しかもサバイバルしてきた四戸さんが、いかに特殊例かが実感できますね。なにか特異な育ち方をされたのでしょうか。中学、高校の時、「自分で体験すべきだ」と教えてくれる方がいたとか?