開発中の国産旅客機「MRJ」

 周知の通り、三菱重工業(※)が開発している旅客機「MRJ」の納期がずるずると遅れている。2008年の開発開始当初は、「2011年初飛行、2013年に納入開始」としていたものが、これまでに5回の延期を経て、現在は2020年半ばの納入開始予定となっている(※より正確に言えば三菱重工業がMRJ開発のために設立した子会社、三菱航空機が開発しているが、本稿では実態に合わせ三菱重工業と書かせていただく)。

 実に8年の遅延。この間に、新型のギアードターボファンエンジンの採用など、MRJの優位点とされていた技術をライバル社が採用するようになるなど、市場での優位性は薄れつつある。

 日本航空産業の復活を期待され、希望に満ちた開発開始から10年、いったい何があったのか。

 三菱重工業単体のプロジェクト管理がもちろん最大の問題だが、そのような管理を行った背景、根底には、日本の航空機産業自体の構造的な問題が横たわっているのではないか。

戦後の航空産業史から構造問題を読み解く証人

 そのような設問に中立的な立場から答えられる人を、私は一人しか知らない。有限会社オリンポスの四戸哲(しのへ・さとる)社長である。

 東京・青梅に本社があるオリンポスは1985年創業の、小型航空機の開発、製作、販売を主な事業とする従業員8名の小さな会社だ。

 が、三菱重工や川崎重工など防衛省関連の航空機を開発・製造するメーカーを除外すると、オリンポスは日本でゼロから航空機を開発・製造した実績を持つほぼ唯一のメーカーである。四戸氏は、幼少時から航空機開発を志して日本大学理工学部航空宇宙工学科に進学し、第二次世界大戦前から戦後にかけて活躍した航空機設計者の故・木村秀政博士の支援を受けてオリンポスを設立した。

 最近ではメディア・アーティストの八谷和彦さんが開発しているアニメ「風の谷のナウシカ」(宮崎駿監督)に登場する架空航空機「メーヴェ」そっくりの機体「M-02J」が四戸氏の設計である。その他、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の実験航空機の開発にも参加するなど、多方面で実際に人が乗れる航空機の設計と製造を行っている。

 とはいえ、MRJは90座席級の旅客機で、オリンポスが設計・製造してきたのは1人乗りのグライダーや小型機だ。四戸氏が、いったいMRJについて何を語ることができるのか、と、疑問に持つ方もいるだろう。だから、これまで氏に話を聞きに行く人は(おそらく)いなかった。

MRJも小型機も、力学と許認可の基本は同じ

 実は、快適装備などはさておいて、「空を飛ぶ機械=航空機」として見れば、グライダーと旅客機との間には大きな差はない。

 航空機は流体力学の法則にのっとって飛ぶ機械だ。大きくとも小さくとも、機体に働く物理法則は同じ。小は模型飛行機から、大はエアバスA380のような巨大旅客機に至るまで「飛ぶ物理的原理」は同じなのだ。陸上の乗り物なら地面の上で車輪が回れば取りあえずは動くが、航空機は物理法則を無視すると飛ぶことすらかなわない。

 さらには機体を構成するための構造力学も、機体の形式や構造も、機体が大きかろうが小さかろうが、基本は同じなのである。

 そして、航空機を巡る、許認可を含めた社会制度はといえば、これまた「大型も小型も基本は同じ」なのだ。小型機における四戸氏の経験を敷延すれば、そのままMRJのような旅客機の世界につながっているのである。

 晩秋のある日、松浦と担当編集のY氏はインタビュー場所に指定された倉庫に赴いた。

 場所は東京都立川市の立川駅近く、立飛ホールディングスが所有するその倉庫の中で、四戸さんはグライダーを製造している真っ最中だった。倉庫の作業スペース横には、明るいオレンジ色に塗られた古い飛行機が2機。実は立飛ホールディングスは、太平洋戦争中は立川航空機という名称で航空機を製造していた。倉庫にあったのは、敗戦後の昭和27年(1952年)、サンフランシスコ講和条約の発効と共に日本での航空機の研究・製造が解禁となってすぐに、立川飛行機の後身、新立川飛行機が開発・製造した機体「R-53」と「R-HM」だった。

R-53
R-HM