怒鳴り合い、喧嘩ができるのが、ハッピーな労使
「カルト」と呼ばれながら相談者が絶えない東京管理職ユニオン
3回にわたって「東京管理職ユニオンこそ、カルトではないのか?」とするシリーズをお送りしました。
今回が、労働組合・東京管理職ユニオン委員長の鈴木剛さんと、アドバイザーの設楽清嗣さんに取材を試みたやりとりの最終回となります。過去2回を振り返っていただくと、これまでの話の流れなどをご理解いただけるかと思います。
最後に東京管理職ユニオンに対しての見方はさまざまですが、同時に、彼らに相談に行く会社員が後を絶たないのも事実なのです。
自己犠牲を払っても労働者を守る
「カルト」と批判・非難を受ける理由の1つは、経営者らと激しい争いすることもあるのではないか、と私は思います。これまでに経験した中で特にすさまじいものには、どのようなケースがあったのでしょうか?
鈴木:例えば、水商売の店で働く人への賃金未払い。これは完全な違法行為なのですが、泣き寝入りをする人が少なくない。我々が店の経営者らと団体交渉をすると、激しい言い争いになることもあります。店の経営者などが、
殴りかかってくることもありました。賃金不払いや不当解雇などをめぐり、ある産廃業者とは乱闘になりましたよ。
設楽:確かに、あれはすごかった。向こうは、鉄パイプを振り回し、追っ掛けてくる。だけど、我々は逃げない。自己犠牲を払い、闘う気概がなければ労働者を守れない。
設楽さんは、自らを「ナショナリスト」と認めておられますね。2015年9月に取材をしたとき、次のように話されています。少々長くなりますが、これら一連の発言が、現在の東京管理職ユニオンの思想として受け継がれていると私には思えます。
【以下2015年9月のインタビューより>
1960年、17歳の少年が社会党委員長の浅沼稲次郎氏を殺害した事件が、当時、学生運動の闘士だった設楽さんに大きな影響を与えたそうです。
「すごいことをやるもんだ、やられたと思った。私は“テロがけしからん”という考え方が大嫌い。闘えば、殺し合いもある。
彼らの思想ならば、一人一殺もあるだろう。政治のためには、一命を賭して闘うことはあり得る。あのような行動やその動機は、容易に理解できる。
外国にすり寄るような発言をする政治家たちに対して、国を憂い、愛国の思いがみなぎるあまり、『何を売国的なことを言っているんだ! いい加減にしろ!』と怒る思いは十分すぎるほどにわかる。
私は今でも、労働者がこんなに格差で苦しんでいる状況に対し、『ふざけるな!』という激しい怒りを持つことはある」
「私は、本当のナショナリズムを否定しない。左翼の意義は国や社会、労働者のことを憂いて愛することだと思う。国を愛しているならば、左翼か右翼しかない。
私は(1960年の)日米安保には反対だったし、今も賛成できない。学生時代、日米安保を破棄し、日本人による義勇軍をつくって自主独立を守るべきだと主張した。
1970~80年代、北海道にソビエトの軍が侵攻してくるといわれていた。そのときは義勇軍を結成すべきだと思っていた。70年代の成田空港反対闘争の頃は、自衛隊出身の男たちと武力闘争の訓練もしていた。
いざとなれば銃をとって自己犠牲を払って闘う気概がなければ、労働者や国を守れない。そうでないとナショナルなものは成立しない」
1990年代から東京管理職ユニオンを取材者として観察する私には、このあたりが、東京管理職ユニオンの真骨頂だと思うのです。それが、現委員長の鈴木さんらに受け継がれているように感じます。
設楽:自己犠牲を払って闘う気概がなければ、労働者や国を守れない思いは変わらないね。今は、カオス(混沌)の世の中なんですよ。だから、労働の最前線の東京管理職ユニオンもカオスになる。左翼もいれば、右翼もいる。
いろいろな意見があって、もみ合っている状態を維持している。それを「カルト」と呼ぶなんて…。
へえ~、そうなの、それを「カルト」とみなし、批判するわけね。私なんかは、「(そのとらえ方が)おもしろいね」って言いたい。「カオス」を「カルト」と言うのね。その区別もついていないのね。
鈴木:「カオス」を「カルト」とレッテルをはるならば、むしろ、「カルト」でありたい。記事にも、「カルト集団」と書いておいてください。
設楽:そうそう…。はっきりいって、私は「カルト」と言われてうれしいよ。
組合・東京管理職ユニオンアドバイザーの設楽清嗣さん
会社の言いなりになる必要はない
この3回のシリーズを読む人の多くは、会社員です。その人たちに向けてメッセ―ジを。
設楽:泣き寝入りをしないことが大切です。いじめやパワハラを受けたら、会社員もせめて口げんかはしないといけない。そして、それを記録につける。なおも、いじめが続くならば、東京管理職ユニオンへおいで…。我々が、その上司をいじめてやるから。
鈴木:多くの会社が隠していますが、上司が部下を殴ることは実際にあるのです。その逆も、多少ある。我々は、被害者の側から相談を受けます。暴力が常に存在しているのが、今の職場なわけです。「言葉の暴力」になると、もう、数えきれないでしょう。
設楽:サラリーマン労働者が駄目なのは、そこなんですよ。暴力を受けようとも、トラブルなきように、会社の言いなりになり、生きていかなきゃいけないと思い込んでいる。
鈴木:今、時代が変わってきていますね。ハラスメントが許されなくなっている。ところが、裏ではまん延しています。ここに、ものすごい矛盾がある。
設楽:本来、互いにぶつかり合うことによって、初めて理解し合うことができるんですよ。喧嘩をすることを恐れてはいけない。
鈴木:我々、東京管理職ユニオンにとって、ハッピーな労使関係は会社と労働者がいつでも怒鳴り合い、喧嘩ができる状態です。お互いの立場の違いを受け入れつつ、対立し合うことができる職場。このあたりは、我々は絶対にゆずれない。
設楽:互いに意見を率直に言い合って、相互に態度を変えることができる。我々も変わるし、向こうも変わる。これが、一番ハッピーですよ。
今は、そのような「許容範囲」が狭くなっています。社会全体が閉塞(へいそく)している。これが、問題なんだな…。
鈴木:常に組織も人も変わるし、市場も変わる。付き合う人も変わるわけです。実は、到達地点はない。絶対な完成地点はないのです。
常に問題が生じることを前提として、それぞれの立場でバチバチとぶつかったり、時に解決しちゃったりして、突然、握手して、うまい酒を交わすこともある。激論を交わし、机をひっくり返す感じになることもあるかもしれません。それであっても、ぶつかることは尊いし、するべきことなのだと私は思います。それが、ハッピーなんですよ。
サラリーマン労働者はもっと勉強してほしい
お二人が話された「喧嘩ができる労使関係」は、働く側も意識が高くないと難しいでしょうね。
設楽:それが重要なのです。
鈴木:会社や職場のこと、上司や仕事のことなどをチェックする。チェックすれば、当然自分も突っ込まれる。喧嘩ができる、とは自分勝手に生きていくことではない。むしろ、きちんとしなきゃいけない。
設楽:サラリーマン労働者はもっと勉強してほしい。社会環境をうんと勉強してください。社会環境を学び、争うことも含めてトレーニングをして、自分自身を高めてほしい。高める意識がないと駄目なんですよ、人間は…。
鈴木:異端になることを恐れるべきでない。経営側も、企業が発展していくために異質なものを取り込む許容量を持つべきです。今は、そういう意識にならないね。排除する意識のほうが強い。
実は、異端を受け入れていかざるを得ない状況を作ったのは、経営側であり、財界なのです。安定雇用は崩壊し、多くの派遣社員や契約社員、外国人などを雇っている。アルバイトもパートも、増えていますね。おのずと、従来までの正社員とは違った考えや事情の人が現れるはずなのです。
多様になれば、異端や異質が現れ、そこに衝突や対立が生まれる。ところが、「多様」を謳いながら、上司や会社とぶつかる人を認めない。排除あるのみ、です。経営側や財界こそが矛盾しています。
設楽:矛盾があまりにも大きい。
鈴木:多様な労働形態にしながら、従来までの同質性を維持しようとすると、矛盾する形のままとなり、コンフリクトが起きるのは当然です。
純日本的な企業であろうとも、海外に生産拠点を持っていけば、多数の外国人を雇うわけでしょう。逆に、向こうから日本にも来るわけです。
トラブルが生じることを前提として、会社や社会を組み立てていないのは明らかにおかしい。むしろ、カオスの状態を維持している我々のような組織が、今後は増えるはずなのです。
1回目の記事(3月30日)で、AV監督だった村西とおるさんが、ご自身のツイッターでユニオンへの厳しいつぶやきをしていることを紹介しました。村西さんへのメッセージを。
鈴木:(1回目の記事で紹介した通り)我々の立場や出版社・青林堂事件のことを正しくは理解されていないのではないか、と思います。はるか前だけど、私は村西さんにお世話になったことがありますから、ぜひ、お会いしたい。私からうかがってもいいですから…。
設楽:私も村西さんに会いたい。あの人のこと、好きだよ。
鈴木:あの方とは話し合えば、わかり合えます。
設楽:全部、わかりますよ、お互いに。彼は暴力団に脅されたり、それを撃退したりしていたのだから。我々と同じようなものです。
鈴木:その意味では、なかなかの人ですよ。
設楽:我々と合うと、あの人も「カルト」になっちゃうか…(笑)。
「喧嘩になってもいい、経営者と労働者が互いに意見を言い合える労使関係はハッピー」と語る鈴木氏(左)と設楽氏(右)
なぜ東京管理職ユニオンに相談する人が後を絶たないのか
3回にわけて私が取り上げたのは、彼らの考えでもある「異端や異質を排除する組織や社会、国は衰弱する」ことに着眼しているからです。
例えば、多くの中小企業が中堅企業、大企業へ発展していくことができない理由の1つに、「必要以上に和を重んじる文化や社風」があると私はかねがね思っています。異端や異質があまりにも少ないのです。
常に経営者を中心とした体制となり、会社に対し、厳しい批判が言えない傾向が根強くあります。問題が問題として残り続けるのです。これでは、社員は経営者を「唯一絶対」の存在として受け入れ、生きていかざるを得ないでしょう。経営者は「唯一絶対」の割には、安定的に稼ぐ仕組みや仕掛けをつくれないようです。業績は伸び悩みます。優秀な人をコンスタントに雇うこともできないのです。
中堅・大企業の業績がダウンしたりして、ほかの企業の傘下になったり、経営危機になる場合、そのほとんどで「必要以上に和を重んじる文化や社風」があるように思えます。問題を繰り返す上司や役員らを批判したり、厳しい意見を言ったりする者を追い出す力が強く働いているように感じてならないのです。
私たちが考えるべきは、この20数年、なぜ、設楽さんや鈴木さんのもとへ相談に行く会社員が絶えないのか。企業内労組は衰退しているのになぜ、ユニオンの数は増え、組合員が増加するのか。なぜ、経営者や法律家の団体などが2人に講演依頼をするのでしょう。
今や、東京管理職ユニオンは、経営者や経済界、保守的な勢力にも一定の範囲で受け入られています。「カルト」として排除する前に、彼らの考えをきちんと聞いてみることも必要ではないか、と私は思うのです。そこには、企業社会、会社や会社員などが抱え込む根深い問題があるのではないでしょうか。
そのうえで、「反日左翼カルト集団」として批判するのもよし。会社でゆきづまった人が、「こんな人たちもいるんだな」と思うのもよし。
なお、2人には、村西とおるさんに抗議をする考えや思いはありません。かねてからのファンで、「反権力」や「不当な行為には屈しない」姿勢に魅力を感じているようです。村西さんと対談してみたい、とも話していました。
3回のシリーズを読んだ方は、東京管理職ユニオンの彼らをどのように思われますか? 意見や抗議があれば、どうぞ書き込んでください。彼らも、その書き込みを見ているようです。
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