ユニオンが守る労働者の中には、「ひどい奴」もいませんか?

1990年代後半から、東京管理職ユニオンを取材者のまなざしで見てきました。当時、ユニオンが労働組合・連合に加盟するか否かを東京管理職ユニオンの機関誌上で組合員たちが激しく議論をしていました。賛成・反対にわかれ、誌面に論文などを載せて、意見を闘わせる。

 あの「ボトム・アップ」の試みができるのは、強い組織です。多くの会社や労組ではできない。構成員の意識を高めるために不可欠でありながら、できない。あの試みがきちんとできると、構成員の意識が爆発的に高くなる。大衆運動などに発展していくエネルギーが、あそこでつくられる。

 実は、会社に市民感覚が浸透せず、カルト化する大きな一因は、このあたりにあるように私は思っています。つまり、現場レベルで会社のあり方などを激しく議論することができない。常に、上からの指示・命令に従わせる。それに従わないと、排除される。

設楽:そのようになってしまうのは、会社が利益追求集団としての一致点を強靱に上から、つまり、社長や役員からつくるからです。だからこそ、電通のようになる。

 現場で深刻な問題が起きているのに、誰も声を出さない。あれほどに世間から叩かれても、現場は立ち上がれない。下から組織をつくっていなかったから、いざとなったときに皆がどうするべきか、わからない。

しかし、ユニオンが守る労働者の中には、「ひどい奴」もいませんか?「こんな人をなぜ、守るの?」と聞きたくなる人がいるように思います。

設楽:たしかに、ダメな社員はいます。だから、団体交渉の場で会社にお願いをすることがあるのです。「この人の駄目さ加減を確認したうえで、今後、再生して生きていけるように何とかしてあげてください」と。

鈴木:そのような場には、私が行くときもあります。もう、土下座団交ですよ。ユニオンは会社に押し寄せて怒鳴るだけではない。実は、団体交渉の半分以上は、落ち着いたトーンで双方が話しているものなのです。

 ダメな人であろうとも、守らないといけない。民主社会では、どんな悪事をした人であっても、ディフェンサーとしてその主張や経過を聞いて、弁護する人がいないといけない。そうでないと、江戸時代のように果し合いや殺し合いになりますよ。

設楽:少数かもしれないが、ただ1人なのかもしれないが、民主主義社会には、社会全体に合わない人は必ず発生する。会社の中にも、絶対にいる。その人を防衛することも民主主義の基本原則であり、我々がするべきことなのです。