今回は、前半で私の経験を、後半でベテランの人事コンサルタント・森 大哉さんに取材をしたうちの一部を紹介します。森さんとのやりとりは、次回の記事でくわしくお伝えいたします。
私のつたない経験をお話ししましょう。会社員をしていた頃、「ばかばかしくて、やっていられない」と頻繁に考えるようになった時期があります。全身からエネルギーを奪われるような日々でした。今にして思うと、カルト的な職場にいたからだと思います。
この場合のカルトとは、管理職とは言い難いレベルの上司に従わざるを得ず、集団である種のいじめが行われて、それに疑問を感じる言動をとると、職場で浮いた存在になっていく空間を意味します。
会社に在籍していた間に仕えた上司は10人以上になりますが、私が「やってられない」と悩んでいた当時の上司が、一見、最も温厚で、紳士的でした。
一方で、プレイヤーとしての力量は、最も低いグループにいるように感じました。マネジメントになると、人間が変わります。一言で言えば、部下たちを常に抑えつけないと気がすまないようになるのです。
彼のすぐ下には、プレイヤーとしては優秀な男性の課長がいました。部下の育成などのマネジメントも、高いレベルに入ります。部内では当初、部長よりも、課長に敬意の念を抱く非管理職が多かったように思います。私も、そのひとりでした。
しだいに、部長は課長を非管理職のように扱います。課長を無視し、部長が頭越しに、それぞれの非管理職に報告を求めるのです。課長のことを気の毒に思い、私が事情を確認すると、「部長との間で役割分担や権限と責任についての取り決めはない」と話していました。互いにけん制し合い、深くは話し合わないそうなのです。
結局、非管理職である20人前後が課長を飛び越え、部長に直接報告をします。結果として、「課長パッシング(部内全員で無視をする)」となり、陰湿ないじめになっていたように思います。それに対し、誰も何も言えない。世間一般の常識や良識が通じない。
多くの仕事が部長でストップ
非管理職たちの、多くの仕事が部長のところでストップします。つまり、判断待ちになるのです。
あるプロジェクトをすることになりました。20数人の中で、その仕事の経験が豊富なのは私だけでしたから、担当することになったのです。私がプロジェクトに入った女性社員に教えようとすると、それにも介入します。
いわゆる、チーム・ビルディングをしないのです。たとえば、課長との間で話し合いをして、互いに役割を分担する。それぞれの部下の担当する仕事とその権限、責任を決める。部下たちの仕事には、課長を通じて指示や命令をする。せめて、このくらいのことはしないとチームはつくれないでしょう。
特に理解しがたかったのが、部長が、女性社員が私と仕事するときにも、自分のほうを向くように仕向けたことでした。女性社員が、私に仕事の相談をしようとします。それが、気に入らないようなのです。
月日が流れ、多少、人間をみる目が肥えてくると、あの上司の心には、もしかするとこんな思いがあったように感じなくもないのです。「自分を脅かす、優秀な部下である課長や生意気な部下の吉田を認めない」「常に、自分中心で組織を動かしていたい」…。
企業社会を広く見渡すと、ここまでのケースは少ないにしても、上司との関係に苦しむ人は多いと思います。
そこで今回は、ベテランの人事コンサルタント・森 大哉さんに取材を試みました。コンサルタントとして20数年のキャリアを持ち、数百を超える企業の人事制度や組織改革などに関わってきた方です。現在は、コンサルティング会社・トランストラクチャの代表取締役をしています。
テーマは、「私はなぜ、あのとき、狂いそうになったのか…」
「使えない上司」の特徴
今回はまず、私が森さんに取材を依頼した理由を述べます。森さんには、数カ月前にも別の媒体で「使えない上司・使えない部下」というテーマのもと、取材をさせていただきました。そのときに話されていた言葉で、強く共感したのが次に挙げたものです。
人事コンサルティング会社・トランストラクチャの代表取締役である森 大哉さん
その1「部下育成が下手な上司には、2つのタイプがある」
「部下育成が下手な上司には、少なくとも2つのタイプがあると思います。1つは、重箱の隅をつつくかのごとく、実に細かいところにまで仕事の指示・命令をするタイプです。もう1つは、プレイング・マネージャーとして部下の育成・指導をするものの、プレイヤーとしての仕事が一杯となり、部下の育成に手が回らない人たちです」
その2「逃げ道をふさぎ、責任を追及する」
「前者のタイプは、たとえば、部下が考えた企画の論理の矛盾を指摘し、返答ができないようにして追い詰めていくのです。部下が何もいえなくなると、勝ち誇ったようになる人もいます。「これはダメだ」「あれもダメ」と回答の出口を1つずつふさぎ、反論ができないようにすることもあります」
「部下を理詰めにするタイプは、「それは違う」「これも違う」と出口をふさいだうえに、「どうするんだよ!」「誰が責任をとるんだ!?」と追及することがあります。これでは、部下は答えようがないでしょう」
この2つの言葉(その1、その2)が指摘する「上司」の特徴は、私が仕えた前述の部長にそのまま当てはまるように思えたのです。
森さんはまず、取材に答えるにあたってのご自身の立場を話されました。
「今回の質問(上司との関係)は、いわゆるサラリーマンの心の内面的な要素と思えるものが多く、少なくとも人事のコンサルティングの場で聞くことはあまりありません」
そのうえで、「部長が、権限を与えたはずの中間管理職(課長)を飛ばして、その部下とコンタクトする」ことについては、次に挙げたような理由が考えられると指摘しました。
(1)指揮命令系統に沿ってコミュニケーションしなければならない、という組織運営の基本原則を知らない。
(2)基本的に権限委譲する(任せる)ことが苦手である。
部下を理不尽なまでに攻撃する理由
そして、このように話されました。
「一定程度の規模の組織で実務的な訓練を受けていないと、(1)のような組織的無知の管理職や組織感受性のない管理職が生まれることがあります。
(2)のタイプは、数多くいると思われます。
管理職に任命される前に優秀なプレーヤーとして活躍していた人ほど、他者に任せる(=口を出さない)ことが苦手です。しかし、それでは仕事の範囲を広げることができません」
この指摘を聞いているうちに、先ほど触れた会社員時代の上司のことを私は思い起こしました。
次に、「上司が、部下を理不尽と思われる程度にやっつけてしまうこと」については、主に次の3つを挙げました。ちなみに、「やっつけてしまう」相手を私のケースに置き換えると、課長や私のことを意味する、と思います。
(A)やっつけてしまうことが、部下の育成につながると勘違いしている。
(B)やっつけてしまうプロセスを通して、自身の優越感を覚え、自己満足している。
(C)自分を脅かす優秀な部下を抑え付けようとしている。
「企業社会では、(A)と(B)が混じっているようなことが多いと思われます。(A)は、部下を育成しようとしているのでしょうが、結果としては、部下を潰してしまいます。つまりは、育成が下手ということです。
(B)は、その上司が知らず知らずのうちに快感を得ている場合が多く、「自分は苦労して育成している」という気分になっているのでしょう。(C)は組織人として、論外です。
(B)と(C)は組織の利益というよりも、自己の利益のために動いているのであり、そこのところをよくわからせないと、このようなことは収まらないでしょう」
マネジメント力がない人間が管理職になると…
森さんは、こうも指摘していました。
「(マネジメント力の乏しい人が管理職になると)その後、2つにわかれていくのです。
1つは、マネジメントの役割を放棄してしまう。つまり、ひとりで仕事をし、成果を上げようとして、部下の育成や指導ができない。もう1つは、試行錯誤をしながらも、チームをつくり、皆のレベルを底上げし、マネジメントを覚えていく。
前者は数人の部下を率いることはできたとしても、30人の部署の部長や本部長をすることは難しい。ところが、こういう人を部長や本部長にしてしまうから、「使えない上司」となるのだと思います。
私のこれまでの印象でいえば、高い業績を残して昇格した人の7割ほどが、この前者に該当します」
この7割の管理職が自らの力を省みることなく、部下たちを必要以上に抑えつけようとするから、職場はある意味でカルト化してしまうのではないか、と私は思っています。
皆さんは、どのように感じられますか?
次回は、森さんとの取材の場でのやりとりをくわしくお伝えします。
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