労使協調路線の先に生まれた「ゲシュタポ」

 私が取材を終えて感じるのが、カルト経営者の意向に応じて動く、「ゲシュタポ管理職」の存在の大きさです。これが、きわめて危険なのです。

 鈴木さんが指摘するカルト的な経営者は、おそらくはるか前からいたと思うのです。以前は、その経営者に対し、労働組合や社員たちの抵抗があったのではないでしょうか。それがブレーキとなり、経営者に再考や再検討を促し、結果としてよりよき案が生まれ、強い組織をつくることができるきっかけになっていた、と思えるのです。

 そもそも、労使間の対立が一切ない中、強い組織はつくれないと私は考えています。労使の利害はゆきつくところ、対立するはずなのです。それが、ここ20数年は次第になくなりました。労使間の対立がないことは、社員間、管理職と役員、役員どうしのぶつかりあいなども減ることとリンクしているのです。言い換えると、「価値観共有」「理念共有」などと、見せかけの和を尊ぶ傾向が強くなっています。

 人事評価も配置転換も、リストラまでもが、労使間で互いに意見を闘わせることなく、静かに機械的に進んでいきます。法的に、道義的に問題がありながらも…。労使間で争うことは「時代錯誤」であり、それを知ったかぶりで冷笑することこそが「進歩的」と信じ込む人すらいます。

 私には、意見の違いや対立、衝突がない職場は、堕落していく組織にしか見えません。怖いのは、この見せかけの和を利用し、自分があたかも、カルト経営者の代弁者のように発言し、ふるまい、我が物顔で部下などを仕切ろうとする管理職が増えていること。これが、ゲシュタポの本性です。

 ナチスがドイツなどを支配していた当時を書きあらわした書物に目を通すと、独裁者などの顔色をうかがい、ずる賢く立ち回り、権力を握り、弱い者を潰すことで、自分の劣等感などを克服していた人がいたことは事実に思えます。何らかの理由で自分に失望している人は、その劣等感や不満を克服するために、あらゆるものを利用します。必死に、かたくなに、傷ついた自尊心を守ろうとします。

 その意味で、独裁は、平穏無事な民主主義の中から生まれてくるともいえるのではないでしょうか。ゲシュタポのような管理職や社員は、何食わぬ顔で仕事をしながら、そっと社員たちを抑えつけ、意のままに動かそうとしてくるように思えるのです。劣等感や不満を克服するために…。虚勢を張るために、自分を大きく見せるために…。