点滴が英語で書かれていて分からない

 まずは点滴を入れるための針を血管に入れなければなりません。医者はこの針のことを「ルート」と呼びます。血管にいろいろな薬を入れるための通り道なので、ルートと呼んでいるのです。適当に皮膚に注射するのではダメで、血管の中に入れると一瞬で全身に運ばれるのです。この時私の頭の中には「ルート確保、そして点滴を全開で入れる。それをやりながらこの人の状態が悪い原因を考えよう」というプランが立っていました。これは、地上で発生し病院に運ばれたすべての救急患者が受ける治療でもあります。

 そこで私は、すでに3~4人集まってきていたキャビンアテンダントさん達に「血圧計とか、ルートを確保するための点滴の針とか、生理食塩水があったら出してくれ」と英語で言いました。しかし彼女らは全員それらのありかが分からず、代わりに大きなボストンバッグ4つを持ってきました。「おいおい誰も分からないのか……」私は眩暈を覚えつつ、全部ひとりでやるしかない状況であることを認識しました。大急ぎで全てのボストンバッグを開け、血圧計や注射、点滴や消毒用のアルコール綿を探しました。そこで再び危機が訪れました。なんと、点滴のバッグがすべて英語表記で書かれていたのです。当時経験の浅かった私は英語が分からず、ただ一つだけわかった「SALINE」、生理食塩水を使うことにしました。しかも点滴の針も外国製で、見たことがないタイプ。点滴って、0.1mmくらいのブレで失敗するようなかなり繊細な技術が必要なので、普段使っていないものを使うのは非常にストレスです。さらに、今目の前の患者さん(私の頭の中ではこの女性はすでに「患者さん」でした)は血圧が低く、血管が縮んでしまっているから点滴の針を刺すのが難しい。その上点滴の針はかなり細くて使えないものか、異常に太いものしか入っていない。さて、どうしたものか……。

ロシア上空で私は冷や汗をかいていた

頼む、入ってくれ点滴の管よ

 私はばたばたと動かしていた手を止め、一つ深呼吸をしました。このような場面、つまり自分がリーダーかつただ一人のプレーヤーで、条件が悪い戦いではパニックになったら100%自滅します。よし、これで落ち着いた。まずは現状分析だ。そう思い、血圧を測りました。血圧計も「水銀柱」というアナログのもので、国内のほとんどの病院では使っていません。私はたまたま学生のころ離島の診療所に行ったり地域の巡回診療をしたりした経験がありまして、このアナログ血圧計に慣れておりました。なんとか測ると、血圧は60/30mmHg。やはり危機的な数字です。よし、次は点滴だ。

 点滴を下げるための棒(点滴架台といいます)も当然機内には備えられていませんから、テープで点滴バッグを高い位置に貼り付け、そこから細いチューブをつなげて先端を患者さんのすぐ近くに置いておきます。なぜこんなことをするかというと、一人ぼっちだからです。他に医師やナースがいれば、そっち準備しといて、で済むのですが、一人きりでやらねばならずこんな準備をしました。そして、さあ刺すぞ、となった時。

 かなり太い針を、患者さんの腕に近づけます。アルコール綿で消毒し、皮膚をプスっと刺しました。しかし反応はありません。普通針が刺さったら「痛い」とか腕を動かすなどの反応がありますが、反応がないということは意識がやはり悪い。そう思いつつ、針を進めます。

 点滴の針は太く、患者さんの血管の太さとほとんど同じでした。同じ口径に入れるのは至難の業です。しかし私は手ごたえを感じました。来た!祈るような気持ちで針のふたを取ると、血が噴き出してきました。これは成功の証です(点滴のシステムについて詳しく知りたい方は私が書いたこの記事をご参照ください)。私はホッとして、準備していた点滴の管につなげました。

 ひとまずルートは確保できました。これでもしこの人の心臓が止まったらアドレナリン(強心剤です)を打てるし、ここから液体を大量に入れれば血圧を上げられるかもしれません。生理食塩水の投与する速度を全開にして私はちょっと安心し、自分の強運を喜びました。