医療が「サービス業」になり得ないワケ

1. 情報の非対称性があるから
 情報が専門家と非専門家で偏っていることを情報の非対称性と言います。先ほどの虫垂炎の例で説明した通り、医療関係者と非医療関係者には情報の非対称性が存在します。これがある状態で、サービス業ということは難しいかもしれません。なぜなら、顧客満足度と医療の質に乖離が出る可能性があるからです。病院現場では、必ずしも顧客満足度が最優先事項ではない場面があります。

 また、医療はときにいのちの問題にもなりますから、患者さん・患者さんのご家族の希望を最優先していたら、倫理的な問題が発生することがあります。例えば人工中絶や年金目当ての高齢者延命です。

2. 医療に市場原理は合わないから
 医療経済学的には、医療に市場原理を導入したらうまくいかないそうです。詳細な議論は学者に任せますが、その理由は市場原理に委ねてしまった米国を見ていればよく分かるでしょう。米国の医者は、患者さんの入っている保険によって治療法を変えるのですよ。日本で医者をやっている私には、正気の沙汰とは思えません。いのちは等しく平等ではないのが、かの国なのです。言い換えれば「金持ち長生き、貧乏早死に」なのですね。

 逆に、英国はガチガチに規制しています。日本はその両極の間……よりは少し規制強め側でしょうか。市場原理がない分野では、やはりサービス業として競争により質を高めることが難しいと思います。

3. 医療は公共性が高いから
 これをあまり論じる人はいませんが、医療は公共性の高いものです。例えば鉄道や電気・ガスのような、社会インフラの一部という側面があるのです。何十年もかけて、厚生労働省はフリーアクセスという旗印で全ての都道府県に医大を作ったり、かなり僻地にも病院を作ったりしてきたのです。

「都会に住んでいたら助かった」とならないために

 そして、上記の3つは別々のものではなく相互に関連しています。情報の非対称性が大きいから市場原理がそぐわないし、だからこそ公共のものであるべきなのです。

 さらに言うと、「3. 医療の持つ公共性」では、「2. 医療に市場原理は合わないから」とも重複しますが、僻地に病院が無くなってしまうと、まるで鉄道の不採算路線が無くなるように、その地域に住む人々が困ることになります。するとどうなるか。医療は、救急の病気を考えれば分かるように、ある程度「時間」の要素が重要なものです。ですから、「都会に住んでいたら助かったのに……」という現象が起こります。すると、人々はどんどん都市部に流れ、日本の僻地や地方から人はいなくなる、という向きに進むでしょう。これは、日本が目指すべき形でしょうか。

 「そんなこと言ったって、国鉄は民営化したじゃないか」と言われそうです。しかし、その後、地方切り捨ての方向へ進んだことは否めません。

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