昼食後、第2原発へ

 第1原発を1周ぐるりと見せていただいた後で、我々は昼食をとり、その後第2原発へと向かいました。第2原発ではかなり専門的な解説を伺いながらの視察になりました。

 中でも印象的だったのは、原子炉格納容器の中に入らせていただいたことです。格納容器とは、実際に核燃料が核分裂反応を起こして発電をしている容器のこと。現在、第2原発は全て運転を停止していますので、被ばくを心配することなく入ることが可能でした。

私たちが立っている部分は、原子炉圧力容器の真下です
東京電力ホールディングスのホームページより

 上の図の赤いデブリがポタポタと垂れている、まさにその真下の部分です。第1原発では、この部分に非常に強い放射能を持つデブリが貯まっていると見られており、その解決が廃炉工程のキモになりそうでした。

 なお、第2原発は第1原発から車で30分ほど、 約12kmしか離れていません。そのため3.11の時には、第1原発と同じ地震の揺れと津波の被害にあいました。しかし、なぜ第1原発ではあのような過酷な事故が起こり、第2原発では起こらなかったのか。あまり知られていませんが、実は第2原発でもかなりギリギリの状況でした。詳細は東京電力のこのページにあります。

 その理由を、極めて単純化してお話しします。

非常用電源が第2原発の危機を防いだ

 原子力発電では、常に原子炉の冷却が必要になります。この冷却をするために水を炉の周りに循環させます。水の循環には電気が必要ですが、その電源が第1原発では完全に失われ、その結果、爆発が起きて放射性物質が外に漏れ出たのです。

 第2原発でも電源を一時的に失いましたが、別の非常用電源を稼働できたため、事故を避けられたということです。

 ですから、例えば重要な電源盤などの施設を完全防水とし、さらに津波が届かないくらいの高台に置いていたら。あるいは地下に電源施設を造っておけば、あれほどの事故は起きなかったかもしれません。海の目の前に原発を作るのだから、それくらい考えても良かったのではないか。原子力発電を知らぬ素人の感覚として、正直なところ危機対策が甘すぎたのではないか、というのが私の持った感想でした。

ある東電社員の方から聞いた「会社を辞めない理由」

 私は以前、ある東電社員の方から直接お話を伺ったことがあります。

 その方は原発事故が発生して1年ほどしてから福島入りしました。当時は「Jヴィレッジ」という、原発近くの大きなサッカー施設が原発作業用に貸し出されており、その敷地内の、グラウンド部分に建てられた仮設住宅に数年住んだそうです。広さは4畳で風呂トイレは共同でした。

 私はその方に、こう尋ねました。「震災後、東電の社員にはどんなことが起きたのか?」と。すると、まず人前で自分の会社の名前が言えなくなり、飲み会などもこっそりやるようになったそう。さらに、同じくらいの世代の社員が結構やめてしまったそうです。

 確かに、震災事故以降、退職した社員は大勢いると聞きます。私はその方に、こう質問したのです。「なぜあなたは辞めないのですか?」

 すると、こんなお返事だったのを覚えています。

 「震災前に一緒に仕事した人たちがイチエフ(福島第1原発のことです)で頑張っているので、自分も頑張らないとと思っています。吉田所長をはじめお世話になった人たちと震災前も死ぬほど一緒に頑張ってきたというのもあり、その人たちが頑張ってるなら自分も、と」

終わりに

 今更かもしれませんが、3.11から6年経った今、もう一度皆さんに事故のことを思い出してほしいと思い、本記事を書きました。

 冒頭に書いたように、廃炉まではまだ40~50年の時間が必要です。つまりこれは、福島の復興には40年以上かかるということです。福島に関わった一人の人間として、見守っていきたいと思います。

 なお、事故についてはいくつかの事故調査委員会が立ち上がり、いろんな角度からの検証がなされてきています。ここでは医師の目線で、肌で感じた感想を述べました。