風邪なら診断は簡単?

 では、とても身近な病気である風邪ならばどうでしょうか。風邪とは、のどや鼻でウイルスが引き金となって炎症を起こす疾患です。専門的には「急性上気道炎」と呼ばれます。

 実は、風邪のひきはじめの症状に似た症状が出る病気が、いくつかあります。まずはインフルエンザです。症状は似ていますが、風邪とは別の疾患ですし、別の薬や治療が必要になります。

 他にも、急性喉頭蓋(こうとうがい)炎という病気があります。これは、のどの奥の方の喉頭蓋に炎症が強く起きる病気で、発熱とのどの痛みという、風邪とそっくりな症状を来します。しかし風邪とは大きな違いがあります。急性喉頭蓋炎は時に命に関わる、とても恐ろしい病気なのです。風邪だと思って放っておくと、呼吸の通り道にある喉頭蓋が腫れてしまい、窒息して死に至ることがあるのです。

ワシントン元米大統領とサクラの木

 見た目は風邪に似ているけれど、実は命に関わる病気である――。

 この病気を初めて学んだ医学生の頃、私は驚愕しました。実際に診断をするのは難しく、しかも見誤ると「窒息→死亡」という重大な結果になります。医療訴訟になるケースも多く、当時の上級内科医には、「もしこの患者さんに当たったら運が悪かったと思え。それほど、風邪と急性喉頭蓋炎とを見分けるのは難しい」と習ったのを今でも覚えています。

 外科医的な視点の話をすれば、「窒息ほど悔しいものはない」と昔の上司に習いました。窒息とは、物理的に空気の通り道が塞がることで発生します。殺人事件なら口を塞がれますし、高齢者が餅を詰まらせるのはもう少し奥ののどが塞がります。

 ですから、その詰まった場所より肺に近いところに穴を開ければ、それだけで息をすることはでき、窒息死が回避できるのです。

 「穴を開けるっていったって、どうするんだ」と思われるでしょう。これは外科医ならば、のどちんこのすぐ下を切る「気管切開」という技術ですることができるのです。これをやれば、たいていの窒息患者さんを救命することができます。気管切開は、私一人であれば5分、もう一人外科医か慣れたナースがいれば2分もかからずできるでしょう。

 ですから、もし急性喉頭蓋炎と診断でき、気管切開ができれば助かる。しかし診断がつかず、窒息してしまったら10分で死亡します。そういう意味で「悔しい」のです。

 余談ですが、急性喉頭蓋炎は英語でcherry-red epiglottitisとも言います。Cherry-redは「さくらんぼの実のような赤」という意味で、喉頭蓋がそんな色に腫れて見えることから名付けられています。これで亡くなったとされる有名人に、ジョージ・ワシントン元米大統領がいます。彼の逸話(創作という説もありますが)に、少年の頃、父が大切にしていたサクラの木を切ってしまい素直に謝ったところ、怒られずに正直さを褒められたという話があります。そんな彼が、サクラの実の名を冠した病気で亡くなるとは、なんとも皮肉なものです。

米国の初代大統領(任期は1789~97年)を務めたジョージ・ワシントン氏(国旗の前)。サクラの木とは奇妙な縁があったようです
米国の初代大統領(任期は1789~97年)を務めたジョージ・ワシントン氏(国旗の前)。サクラの木とは奇妙な縁があったようです

 話を戻しますと、患者さんに病名の診断をつけることは、がんでも風邪でも簡単ではないのです。この2つ以外の病気にも、多くの病気には診断のための「診断基準」というものがあります。これは、例えば「10の項目のうち6つ以上を満たしたら、病気と初めて診断してよい」というもの。これだけでも診断をつけるのはハードルが高いのですが、さらに大変なことに、診断基準が日本バージョン、米国バージョンなどと分かれていることもあるのです。

 医者が病名の診断をつけることの難しさが、伝わりましたでしょうか。

次ページ 後から診察する医者はみな名医