こんにちは、総合南東北病院外科の中山祐次郎です。
前回から8回にわたり、「一介の外科医、日々是絶筆・特別編」として毎週記事をお届けしています。ここでのテーマは、「私の医者としての本音を書く」というものです。私が医者として働いてきた中で、最も言いづらい部分をお伝えします。ご意見やご感想、ご質問がありましたら、ぜひお寄せください。なお、私中山のフェイスブック、ツイッターでも構いません。前回の記事でも多数のご意見を頂戴いたしまして、ありがとうございました。
「医者に病名をハッキリと言われない不安」とは何だろう。
知人から送られてきた質問を見て、私は疑問に思いました。「そんな不安があるのだろうか?」と。私はすでに医者の脳みそになっていて、患者さんのお気持ちが分からなくなって来ているのかもしれません。
皆さんが調子が悪くて病院にかかった時、「ナントカ病ですね」などとハッキリ医者に言われないことは多いのではないでしょうか。そんな時、「結局自分はどこが悪いんだ?」と不安に思われることと思います。
しかし医者からすると、はっきりと病名を断言できることはそれほど多くありませんし、病名を言いづらいことも多いのです。
患者さんは病名を言ってほしいけれど、医者は病名を言いづらい。この点、患者さんと医者の間に大きな認識のズレがあるのではないか。私はそう考えています。
では、なぜ医者は病名を言いづらいのでしょうか(ここでは、がんなどの重病であったときに「告知」をしづらいという意味ではなく、クリニックで診る患者さんに「◯◯病です」と断言しづらいという意味で取り上げます)。
医者が病名を断言できない最たる理由は、次の2つです。
- 「診断を確定させるハードルは高い」
- 「はっきりと病名を伝えて、後から違うと分かったら信頼を失う」
一つめの「診断を確定させるハードルは高い」とはどういうことでしょうか。
「ちぎり取って顕微鏡」で初めて診断がつく
医者をやっていて常々思うのは、「この患者さんは◯◯病だ」と診断するのは容易ではない、ということです。「あなたはおそらく◯◯病でしょうね」くらいは言えるのですが、「あなたは◯◯病です!」とはっきり言うことは難しいのです。
具体例を挙げましょう。私が専門にしている大腸がんでは、腹痛や血便などの症状が出て、検査をしただけでは診断に至りません。CT(コンピューター断層撮影装置)検査と、お尻の穴からカメラを入れる大腸内視鏡検査を行い、検査結果で「うーん、大腸がんっぽいなぁ」と専門家が判断したとしても、まだ診断はできません。診断を確定させるには、悪そうなところの一部をちぎって取り(生検=せいけん=と言います)、病理科の専門医に顕微鏡で見てもらって、「この細胞はadenocarcinomaです」と診断されて初めて「大腸がん」という診断に至るのです。
「悪そうなところの一部をちぎって取り」と簡単に書きましたが、それも大変なことです。大腸がんの場合、通常はがんと思われる部位の近くまで大腸内視鏡を寄せて、カメラの脇から出るワニの顎のような道具でかじり取ります。その後、かじり取った1~2ミリの小さな破片を大事にホルマリンにつけて、病理の医者に提出するのですね。痛みはありませんが出血をします。ひどいと止血をするのに難渋することだってあります。
ほんの50年前にはそんなことはできず、しこりのある患者さんのお腹をエイヤと切ってから、「なんと、大腸がんか!」と驚いて切除したものをまた顕微鏡で見て診断していたのです。つまり手術前には「この患者さん、何の病気かな、まあ多分大腸がんだろう」くらいで、診断など全くついていなかったのですね。ですから、今はだいぶ進歩していると言えますが。
「いやいや、がんだから大変な過程を経て診断に至るのであって、他の病気ならそうではないだろう」といった声が聞こえてきそうですが、そんなことはありません。
風邪なら診断は簡単?
では、とても身近な病気である風邪ならばどうでしょうか。風邪とは、のどや鼻でウイルスが引き金となって炎症を起こす疾患です。専門的には「急性上気道炎」と呼ばれます。
実は、風邪のひきはじめの症状に似た症状が出る病気が、いくつかあります。まずはインフルエンザです。症状は似ていますが、風邪とは別の疾患ですし、別の薬や治療が必要になります。
他にも、急性喉頭蓋(こうとうがい)炎という病気があります。これは、のどの奥の方の喉頭蓋に炎症が強く起きる病気で、発熱とのどの痛みという、風邪とそっくりな症状を来します。しかし風邪とは大きな違いがあります。急性喉頭蓋炎は時に命に関わる、とても恐ろしい病気なのです。風邪だと思って放っておくと、呼吸の通り道にある喉頭蓋が腫れてしまい、窒息して死に至ることがあるのです。
ワシントン元米大統領とサクラの木
見た目は風邪に似ているけれど、実は命に関わる病気である――。
この病気を初めて学んだ医学生の頃、私は驚愕しました。実際に診断をするのは難しく、しかも見誤ると「窒息→死亡」という重大な結果になります。医療訴訟になるケースも多く、当時の上級内科医には、「もしこの患者さんに当たったら運が悪かったと思え。それほど、風邪と急性喉頭蓋炎とを見分けるのは難しい」と習ったのを今でも覚えています。
外科医的な視点の話をすれば、「窒息ほど悔しいものはない」と昔の上司に習いました。窒息とは、物理的に空気の通り道が塞がることで発生します。殺人事件なら口を塞がれますし、高齢者が餅を詰まらせるのはもう少し奥ののどが塞がります。
ですから、その詰まった場所より肺に近いところに穴を開ければ、それだけで息をすることはでき、窒息死が回避できるのです。
「穴を開けるっていったって、どうするんだ」と思われるでしょう。これは外科医ならば、のどちんこのすぐ下を切る「気管切開」という技術ですることができるのです。これをやれば、たいていの窒息患者さんを救命することができます。気管切開は、私一人であれば5分、もう一人外科医か慣れたナースがいれば2分もかからずできるでしょう。
ですから、もし急性喉頭蓋炎と診断でき、気管切開ができれば助かる。しかし診断がつかず、窒息してしまったら10分で死亡します。そういう意味で「悔しい」のです。
余談ですが、急性喉頭蓋炎は英語でcherry-red epiglottitisとも言います。Cherry-redは「さくらんぼの実のような赤」という意味で、喉頭蓋がそんな色に腫れて見えることから名付けられています。これで亡くなったとされる有名人に、ジョージ・ワシントン元米大統領がいます。彼の逸話(創作という説もありますが)に、少年の頃、父が大切にしていたサクラの木を切ってしまい素直に謝ったところ、怒られずに正直さを褒められたという話があります。そんな彼が、サクラの実の名を冠した病気で亡くなるとは、なんとも皮肉なものです。
米国の初代大統領(任期は1789~97年)を務めたジョージ・ワシントン氏(国旗の前)。サクラの木とは奇妙な縁があったようです
話を戻しますと、患者さんに病名の診断をつけることは、がんでも風邪でも簡単ではないのです。この2つ以外の病気にも、多くの病気には診断のための「診断基準」というものがあります。これは、例えば「10の項目のうち6つ以上を満たしたら、病気と初めて診断してよい」というもの。これだけでも診断をつけるのはハードルが高いのですが、さらに大変なことに、診断基準が日本バージョン、米国バージョンなどと分かれていることもあるのです。
医者が病名の診断をつけることの難しさが、伝わりましたでしょうか。
後から診察する医者はみな名医
続いて2つめの「はっきりと病名を伝えて、後から違うと分かったら信頼を失う」について。
医者なら誰でも強く同意いただけると思いますが、当初見込んでいた病名と、後から分かる病名が異なることは極めて日常的です。それを象徴する医者業界の言葉として、「後医は名医」という格言があります。
後医(こうい)とは、患者さんを治療経過の「後」の方で受け持った医者のことです。「後医は名医」とは、「(時間的に)後の方になって患者さんを診たら、そりゃ全体像が分かるし診断だってつけやすい。治療もうまくいくだろう。だから後から担当した医者は名医のように見える」という意味です。
「後医」の反対語は「前医(ぜんい)」です。これは、病気を発症した患者さんのファーストタッチをした医者のこと。「よく分からないけど具合が悪い」ような患者さんを、初めて診察した医者を指します。病気は一般的に、時間経過とともにだんだん病態が分かっていくことがとても多いため、前医は圧倒的に不利なのです。
ですので、「前医は絶対に批判するな」ということも医者業界ではよく言われることです。その意味は、「後医である自分から見たら、前医は診断を間違え、見立ても狂っていて、トンチンカンな検査や治療をしている。しかしそれを責めるな」ということです。病気の診断をつけるには、それほど「経過した時間」が重要なのです。
具体例をお示ししましょう。例えば「便に血が混じっていた」患者さんが病院にいらしたとします。もっとも高い可能性は頻度から考えると痔ですが、中には大腸がんの人もいるでしょう。クローン病や潰瘍性大腸炎の人もいれば、HIV(エイズウイルス)に感染してアメーバ腸炎の人もいるかもしれません。薬の副作用による薬剤性腸炎の可能性だってあるのです。これは、1カ月ほど様子を見るだけでも「血便の回数」「腹痛や下痢の頻度」などで分かってくることがあるのです(現実には様子を見ずに検査を進めますが)。
「時間」という検査が診断してくれる
ですから、最初に1度診察するだけでは、その症状から考えられるあまりに多い選択肢から絞ることは難しいのです。慎重に必要な検査を受けてもらい、少しずつ候補の病気を狭めていく。医者はそんなことをしています。
それを知っていただくだけでも、ちょっと安心していただけるのではないでしょうか。医者は、病名を当てることではなく、患者さんの辛い状態が少しでもよくなる、楽になることを目的に診療をしています。医者の言う「経過を見ましょう」「様子を見ましょう」は、何もせず放っておきましょう、と決してイコールではありません。時間が経ったら分かってくることがあるので、その時々で手を打っていきましょう、という意味なのです。「時間」という検査が診断してくれることが、医療には往々にしてあるということですね。
もちろんご不安なら医者に聞いていただいて構いませんが、そういう意味ですので過度なご心配は不要です。
(参考文献)
「本邦における救急領域の医療訴訟の実態と分析」(本多ゆみえ、李慶湖、小林弘幸、日本救急医学雑誌24巻(2013)10号、p.847~856)
「The death of George Washington: an end to the controversy?」(Am Surg. 2008Aug;74(8):770-4)
■訂正履歴
本文中、HIVの表記を誤っていました。お詫びして訂正します。本文は修正済みです。 [2018/5/22 14:30]
この記事はシリーズ「一介の外科医、日々是絶筆」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?