前回は、私が2カ月(2017年2~3月)限定の院長を務めた福島原発近くの高野病院のお話と、先日、亡くなられた俳優の渡瀬恒彦さんが闘った「胆のうがん」に関する解説をしました。今回は、福島原発近くに移住し、高野病院で実際に診療をしてみて気づいた「避難生活の現実」を取り上げます。診察室で直接、患者さんからうかがったお話なども交えてお届けしますね。
先日、6年にもわたった原発近くの町村への避難指示が、一部を除いてついに解除されました。これにより避難区域の面積は3分の1に縮小し、約3万人が避難解除の対象となりました。
避難生活でなぜ人々は死亡するのか
いきなり過激な見出しです。避難生活でなぜ人々は死亡するのでしょうか。「死亡」とは穏やかではありませんが、これは誇張でも何でもなく、高野病院での2カ月間の診療で、私が実感したことの一つです。
まず、そもそもなぜ避難生活で健康を害するかについて見ていきます。この点については私も、福島に行くまではきちんと理解できていませんでした。「大変だろうけど、一時的に別の場所に引っ越すだけじゃないのかな」と思っていたのです。
避難指示は6年前、原発事故の直後に出されました。理由はもちろん、放射線量が高い地域に住むと被ばくし、健康被害が生じる可能性があるからです。
では避難指示を出された地域の住民がどこに避難したかというと、これはあまり知られていませんが、約半数は福島県内の仮説住宅に行きました。復興庁の最新データによると、県外へ避難している人は3万9218人、県内は3万7670人で、県内の94%にあたる3万5436人は仮設住宅や賃貸住宅などに住んでいます。事故直後は一時的に親戚などの家に行ったものの、避難生活が長期化したため仮設住宅に入った、というパターンが多かったようです。
私が高野病院で診察した患者さんの中にも、仮設住宅で避難生活を送っている方が多くいました。外来通院の方も、入院中の方も……。
そこで私が強く感じたのが、「避難生活は人を死亡させる」ということでした。以下に3つの理由を挙げ、順に見ていきます。
1. 家族の離別と地域コミュニティーの喪失
2. 医療の連続性の途絶
3. 環境変化
子供一家を都会に残して老夫婦だけが故郷へ戻る
まず、家族との離別について。
私がお会いした患者さんの多くは、かつて「祖父母」「子供夫婦」「孫」の三世代で住んでいたご家庭でした。避難を余儀なくされた時、いったんは三世代一緒に避難したものの、仮設住宅の広さが不十分だったり、子供夫婦の職場や孫の学校の場所が離れていたりして、祖父母と別れて暮らさなければならなくなった家庭が多かったようです。多くの家族が「祖父母」と「子供夫婦と孫」の二つに分かれました。
その過程はこうです。事故から数年が経過すると、「子供夫婦と孫」の家族は避難先の福島県内の都市(郡山市やいわき市等)で生活の基盤ができ、移動しにくくなります。これはお孫さんの学校のことなどを考えると理解できますよね。
一方で、「祖父母」の老夫婦の心には、生まれ育った(あるいは長年住んだ)故郷へ帰りたい気持ちが募ります。故郷には一軒家の自宅があり、勝手知ったる街がある。避難指示が解除になったら帰りたい。そう考えるお気持ち、とても良く分かります。
その結果、子供一家をいわき市などの都市に残し、とりあえず祖父母夫婦の2人だけで帰郷する人が増えました。高野病院のある広野町にもこういう方が多く、特に高野病院の外来に通院してくるご高齢者の多くがこのパターンです。
避難から帰還した患者さんからいただいた、富岡町の桜の写真
避難指示でご近所付き合いが失われる
避難指示が出て街から一旦、人がいなくなったことで、ご近所付き合いはほぼ消滅しました。ご近所さんが「隣のばあちゃん、なんか調子が悪いみたいでよ」と病院に知らせてくれることもなくなったのです。この「地域コミュニティーの喪失」は、特に独居のご高齢者にとって大打撃となりました。相互監視のシステムがなくなってしまったからです。
家族との離別と地域コミュニティーの喪失が、どれほど健康に害を及ぼすかは想像に難くないでしょう。高野病院には、二人暮らしのご夫婦が来院することが多々ありました。お二人とも90歳近くで、病院に来るのですから少なくともどちらかの調子が悪いという状況でした。
例えば、こんなご夫婦がいました(個人情報保護の観点から匿名としますが、内容は限りなくリアルです)。
「杖で歩くのがやっとの夫が認知症の妻を介護」の限界
夫は老人性難聴で耳が遠く、耳元で、しかも大声で話さなければコミュニケーションが取れません。さらに変形性膝関節症を患っており、杖を使って歩くのがやっと。膝が痛むので、毎日、湿布を貼る必要があります。
妻はアルツハイマー型認知症のため会話や意思疎通はほぼできず、時々、失禁もしてしまいます。妻の身の回りの世話は夫の担当。息子夫婦は車で1時間のいわき市に住んでいますが、仕事が忙しくなかなか来てもらえません。訪問介護の介護士さんが家に来るのは週に1度。最近は夫も物忘れが激しくなり、妻の糖尿病の薬を間違えて飲ませることも増えてきた――。
もう、ギリギリなのです。生活も、その方々のいのちも……。
かかりつけ医の変更で医療が中断
次に、医療の連続性の途絶。これは文字通り、本来は連続していなければならない医療が一度、分断されるという意味です。
避難指示を受けて大急ぎで避難した人たちは、かかりつけの医師(かかりつけ医)の変更を強いられました。当のかかかりつけ医も避難しましたので、同じ医師による治療は一旦、途切れてしまったのです。
通常、かかりつけ医を変更する場合、元の医師が変更先の医師に「紹介状」を書いて、その方の情報を共有します。ところが今回の震災では、十分な紹介状が書かれていないケースが多かったようです。紹介状にはその人の治療経過や内服薬などを詳細に書きますので、作成に少なくとも一通当たり15分はかかります。原発事故直後の避難では、医師にそんな時間的余裕がなかったのでしょう。他の手段としては「カルテの共有」もありますが、これも当時はあまりうまくいかなかったようです。
これは医師としての本音ですが、主治医が代わってしまうとどうしても、医療の質が一時的に下がってしまいます。医師は長い長い経過(お付き合い)の中で、「この人は案外、この薬が効く」とか「本人は頑固だけど奥さんの言うことは聞くから奥さんから言ってもらう」といったコツみたいなものを学んでいきます。これらは通常、紹介状には書かれないので、次の医師に引き継がれることもありません。
避難した人々の中には、かかりつけ医を変更せざるを得なかったことで治療が中断し、結果として健康を損なってしまった方が多かったようです。高野病院での診療で長くお話を聞いていくと、「先生が変わってしまって、薬もなんだか効かねえようになって……」と話し出す患者さんもいました。
医療は連続性を失うと質が下がります。当たり前のようですが、私は高野病院でそれを強く実感しました。
3月30日に行った、記者会見を後ろから撮ってみました
70歳以上の高齢者に多い「せん妄」
最後に、「環境の変化」がどれほど人の健康に悪影響を及ぼすかについて。特にご高齢者への影響は、大きいと言わざるを得ません。
これもあまり知られていないことですが、高齢者は若い人(ここでは70歳以下の人)に比べて環境の変化にとても弱い傾向にあります。たとえ避難生活をしていない場合でも、高齢者が病院に入院すると環境に大きな変化があるため、一時的に「せん妄」と言われる状態になることが医師の間では知られています。
せん妄とは、簡単に言えば「一時的にだが自分が今、どこで何をしているか分からなくなってしまう状態」のこと。せん妄になると会話はできない上に、大切な点滴や尿の管を自分で引き抜いて出血させてしまったり、真夜中にベッドから出歩いて廊下で転んでしまったりということが起きます。一時的な環境の変化でも、かなりの高頻度で起きるのが、このせん妄なのです。私の肌感覚だと、80~90歳で4人に1人、90歳以上だと2人に1人くらいはなってしまう印象です。
一時的な環境変化でもこうなるのですから、1年以上にわたる「避難」という環境変化がいかに大変なことか、お分かりいただけると思います。
震災はまだ終わっていない
私が診ていた患者さんの中にこんな方がいました。その方は震災前、子供に元気にそろばんを教える先生でした。避難生活が始まると、認知症が急速に進行し、たった1年で会話はできなくなり、食事や排泄は全て介助という状態になってしまいました。
他にも避難中、高血圧や糖尿病が悪化した方がいました。避難を終え、帰郷してからはだいぶ良くなってきた方がいる一方、避難先で亡くなってしまった方もかなりの数に上ります。
「避難」がどれほど身体的・精神的ストレスにつながるか、そして、どれほど健康を害する要因になる得るか――。大地震と、それに続く原発事故から丸6年。よく言われることですが、まだまだ災害は終わっていないのです。
私は原発に対して、現時点では賛成でも反対でもありませんが、ひとたび事故が起きると、このように近隣の地域の人々の人生と生命を破壊するという客観的事実だけは、きちんと伝えていきたいと思っています。
今度、原発内部を見学に行く予定です。医者が原発内部に入って解説したということはまだ無いと思いますので、そちらもまたリポートしたいと考えています。
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