前回(原発から22km、私が高野病院に来た本当の理由)は、東京で10年間、外科医として働いていた私が、なぜ福島県の高野(たかの)病院の院長に手を挙げたのか、さらに現地で働くメリットは何なのか、などについてお話ししました。今回は、院長となった私が、どんな生活を送り、どんな仕事をしているのかについて書きたいと思います。

 前回、読者の方から「福島はどうなっているのか。情報も減って心配していました」とのコメントをいただきましたので、今回は福島のお話もたくさん盛り込んでいきますね。

「東北の湘南」と呼ばれています

 高野病院は福島県の「1F(イチエフ)」(現地では福島第1原子力発電所をこう呼びます)から南に22km、海沿いの小高い丘の上に建っています。開設は昭和55年で、くしくも私と同い年でした。6年前のあの3.11大震災では、棚が倒れたりする程度で建物の被害はあまりなく、無事だったそうです。

 ところが、その後の津波では、病院の周り一帯が海になりました。病院は丘の上にあったため、水には浸からなかったそうです(この辺りのお話は東京新聞の編集委員の方が書かれた書籍『福島原発22キロ 高野病院奮戦記 がんばってるね! じむちょー』(東京新聞出版局)に詳しく書かれています)。

 東京から特急で2時間半、いわき駅で常磐線に乗り換え、さらに20分ほど北上すると広野(ひろの)駅に到着します。駅に降り立ち、まず思ったのは「あれ?意外と寒くないな」ということでした。気温にすると、東京に比べてマイナス2度くらいでしょうか。

広野駅。空が広い

 この辺りは東北の中では温暖で、サーフィンも盛んなことから「東北の湘南」と呼ばれているそうです。私も一応、湘南の育ち(とは言っても最寄りは大船駅なので微妙ですが)なので、なんだか親近感がわきました。

火力発電所の2本の煙突が見え、すぐ手前には高野病院がある。海のすぐ近くだ