なぜ外科医がものを書くのか。私にとって「書くこと」は、病院で患者さんの検査や治療をする白衣の仕事の一直線上にあります。誰か困っている人がいて、解決するスキルを持っている自分がいる。スキルを発揮すれば相手は喜んでくれるし、正当な対価も得られる上、スキルも上がります。加えて、私は書くことが好きだということもあります。

なぜ院長に手を挙げたのか

 話を戻しまして、なぜ私が高野病院の院長に手を挙げたのでしょうか。自らの行動を振り返ってみて今、私はこの2つの理由があったと思っています。

1.詳細を検討せずに行くことを決められたから
2.行くメリットを感じたから

 1の「詳細を検討せずに行くことを決められたから」は、手を挙げた理由にはなっていない気もしますが、私の感覚としては次のようになります。

 「高野病院には医者がいない」→「存続の危機」→「医者が行けば危機を回避できる」→「私は医者だ」→「行こう」

 このような、なんとも単純な思考フローだったのです。

 ただし、最後の「行こう」には、当時(1月頃)の私を取り巻く様々な「行きやすい状況」がありました。まず、もともと働いていた職場を3月末で退職する予定だったので、退職時期を早めれば行けました(もちろん、それで元の職場に多数のご迷惑をおかけしたのですが……)。しかも、既に決まっていた4月からの赴任先は同じ福島県。福島という土地に行くことへの抵抗がなく、とても手を挙げやすい環境にあったのです。

責任を負うことで成長できるチャンス

 そして、2の「行くメリットを感じたから」。人間はどんな時でも、必ず損得勘定を(意識的であれ、無意識的であれ)考えますよね。私が感じたメリットは、「責任を負うことで自分が成長できるチャンスを得られる」ということでした。

 この責任には2種類あります。一つは、職員さんが80人いる病院の院長かつ管理者になるという「組織マネジメント」の責任です。

 これは私にとって、大変貴重な経験になります。というのもこれまでは、ほぼ完全年功序列かつ学歴社会の医者のピラミッドの中で、こうした経験を得ることはほとんど不可能でした。可能性としてあるとすれば、開業してクリニックの院長になることくらいです。

 私はまだキャリア10年の医者。5年間の研修の後は、月15日勤務の非常勤勤務を5年間(そのうち2年は月22日くらい働いていましたが)していただけです。ボーナスをもらったことが1度もない非正規雇用で、ポストもありませんでした。

 もう一つの責任は、住民3000人と復興作業員3000人の命を守るという医者としての責任です。高野病院から隣の病院までは車で1時間以上もかかります。ちょっと考えたらピンチです。そういう状況の中で勤務する負荷は、私の医者としてのスキルを向上させると考えました。

 さらに、治療や診断といったレベルから病院全体のあり方、体制にまで考えを及ばせることは、東京の病院にいたら決してできなかったでしょう。高野病院周辺は私以外に常勤医師のいない地域ですから、もし私が大けがや大病をするようなことがあれば患者さんの死にもつながりかねません。それは私の精神を鍛えることにもなります。

 たった2カ月とはいえ、この経験は私のスキルを跳ね上げる最高のチャンスになると思いました。まさに「必要は発明の母」です。