金融政策には「限界がある」

 異次元緩和は、当初2015年3月までには終了する見通しでした。黒田東彦日銀総裁は当時、「アベノミクス第1の矢である金融緩和と第2の矢である財政出動によって景気は緩やかに回復してきたが、最も重要なのは第3の矢である成長戦略だ。成長力を底上げするための成長戦略の実行を加速し、強化することが極めて重要である」と訴えていました。

 つまり、金融政策から成長戦略へバトンタッチしなければ、日本経済の足腰は強くならないと言っていたのです。金融政策は、所詮カンフル剤に過ぎないということをよく分かっていたのでしょう。

 冒頭で「太平洋戦争」いう言葉を出しましたが、私は、こういった日銀の動きが戦時中の日本政府や軍部の動きに重なって見えるのです。

 太平洋戦争は真珠湾攻撃から始まりました。山本五十六長官率いる連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功。狙いは戦況が有利なうちの「早期講和」で、米国から好条件を引き出すことでした。ところが、戦局はズルズルと泥沼へと突入していったのです。

 異次元緩和から抜け出せない日銀もそれと似ています。当時の山本五十六長官が早期講和を考えていたように、日銀は「成長戦略へのバトンタッチ」を目指していたと思います。予定通り実現していれば、日銀も日本軍も役割を終えることができたはずです。しかし、政府の成長戦略は加速しませんでした。自民党議員は既得権益の代表者が多く、規制緩和などは総論賛成ですが、各論反対だからです。成長エンジンが見つからない中、結局、日銀は戦線を拡大し続けた。つまり、異次元緩和をずるずると続けてしまったわけです。

 戦時中、大きな転機となったのが、ミッドウェー海戦でした。その時、日本の虎の子であった主力空母を4隻も失ってしまいました。戦況が悪化する中で、日本政府は何を行ってきたかというと、「情報統制」です。

 大本営発表では「日本は勝利している」「華々しい戦果をあげている」と国民に向けて報じていました。負けることがあったら、「敗北」ではなく「玉砕」という言葉を使いました。

 今年6月、日銀の若田部昌澄副総裁は日本経済新聞のインタビューに対し、「金融政策に限界はない」と発言しています。これを聞いて私は戦時中の大本営発表と似ていると感じました。もちろん、「限界がある」と言ってしまったら、金融市場がパニックになる恐れがありますから、そんなことは言えないのは分かります。しかし、日銀が示した「物価目標2%」の達成期日はすでに過去6回延期され、ついには達成期日自体が削除されました。これは事実上、「金融政策に限界がある」という話と同義ではないでしょうか。

 こういった中で続けられてきた異次元緩和は、もはや十分な先の見通しもなく、「撃ちてし止まん」との掛け声で無理な戦争を続けてしまったのと同じ状態に陥っているのではないでしょうか。

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