そもそも教員の仕事というのは、研究成果を残しながらも、着実に学生のレベルを引き上げることではないでしょうか。その点を考えますと、日本の大学の教員は、レベルが低いと言わざるを得ません。当然、学生の学力も上がるわけがないのです。

 一方、米国では「教員市場」があります。大学の教員は教員市場から採用していますから、名門大学であっても、自校卒業の教員はそう多くはありません。競争原理が働いていますから、優秀な人から採用されていきます。

 米国では、教育業はサービス業と考えられていて、大学のトップクラスの教員は、年収40万~50万ドルほど稼いでいます。というのは、大学の教員になる人たちの前職は多様で、投資銀行員やコンサルタント、政府高官といったキャリアを持つ人も少なくありません。逆に、そういった仕事へ転職していく教員たちも少なくありません。もちろん、教員としてさらに優秀な学校へと転職を続ける人たちもいます。つまり、高度な知識や経験を持った人たちの人材市場があるのです。さらに、彼らは教え方の教育も受けていますから、教えるスキルも高い。

 また、学生も大学にとってのいわば「商品」です。質の高い卒業生をどれだけ輩出できるかがポイントですから、授業や指導は丁寧ですが、卒業はなかなか厳しいのです。一流大学だと成績不振だと「キックアウト(退学処分)」も珍しくありません。

 このような背景から、教員や学生のレベルは、日本と米国との間で大きな差がついてしまっているのです。これは日本人の教員や学生の資質が悪いということではなく、仕組みの問題だと私は考えています。

学校にこそ必要な淘汰と新陳代謝

 この根本的な原因は何でしょうか。それは、既得権益によって学校自体が守られているからです。競争原理が働いていないから、変わる必要がない。さらには教員市場、特にレベルの高い人材市場の流動性もなく、また競争もそれほどありませんから、教員の能力も十分には上がりません。

 これでは日本人の学力は下がる一方です。大学という高等教育のレベルが下がれば、日本経済が世界から取り残されていくのも当然の話です。

 こういった現状を打破するためには、教育の規制改革は必須です。教員の流動性を高めることだけではなく、学校の新設や、逆に淘汰されたりするといった新陳代謝が必要なのです。

 獣医学部を一つ開設するだけで、「岩盤規制」という言葉が出てくること自体がおかしな話です。先にも触れたように、ペットブームが巻き起こり、獣医の需要が増えているにも関わらず、獣医学部が50年以上も開設されていませんでした。今後はペットも減少するという予測もありますが、それでももっと自由化されるべきでしょう。また、高齢者が増えているのに、医学部の定員を減らすべきだという議論もあります。すべて既得権益を守ろうとしているのが原因に思えます。

 日本は、元々獣医学部などもそうですがその数を少なくしておいて、既得権益を守ろうという考え方です。法科大学院の定数を減らそうとしていることについても同じことが言えます。一方、米国は数を増やして競争原理を働かせることで顧客の便宜を図り、その上で優勝劣敗になればいいという考え方をしています。

 米国の考え方が100%正しいとは言いませんが、日本は教育界のみならず、他の分野でも既得権益を守り続けてきた結果、20年以上の低成長につながっているのではないかと私は考えています。日本の教育業界の仕組みは、もう限界に達しているのです。

 もちろん加計学園の問題では、本当に安倍首相が特別な配慮をしたのであれば、絶対に許されることではありません。ただ、その疑惑だけに目を奪われてほしくないのです。この国の在るべき姿を考えますと、そこにはもっと本質的な問題が横たわっているのです。