大企業を辞めてNPOなどの非営利団体で地域貢献のために働く人。一切の残業を断って、生活の中心に家事や育児を置く人。アルバイトで生計を立てながら地方を転々とする人…。学業を修めて、就職して、その会社で生涯働き続けるという、戦後日本人の「典型」からあえて飛び出そうという人たちが増えています。人間としてどう生きるか、もっと言えば、もっとより良く生きるために何をすべきか。企業が個人に与えてくれる夢が万能でなくなった今、多くの人たちが人間としての根源的な問いを自らに発し始めていると言えそうです。

 もちろんそんな中でも、企業の成長と個人の幸福をリンクさせることができているリーダーや組織が現れ始めています。「働き方改革」の流れを、単に、労働法規を順守するためのコンプライアンスの問題として見るのではなく、経営資源に過ぎなかったはずのヒトが人間としての本来の姿を取り戻しつつある時代の変化の現れと見て、むしろその人間としての強さを経営に取り込むことができたリーダーが、これからの時代、強いチームや組織を率いて成果を生んでいくように思います。

直接民主主義の威力

 もう1つ、「人間」について2018年以降に考えたいと思う背景にあるのは、民主主義という仕組みが岐路に立っている現状です。

 人間が、経済学が想定するように、最適な場所で、最適な手法を用いて、最適な消費と生産をする合理的な生き物であったら、民主主義は経済成長に正しく寄与する仕組みだったかもしれません。けれども、ギリシャで生まれた人はドイツに移住して暮らすなんて真っ平だと思い、米国で自動車部品を製造していた人にITスキルを身に付けろと言っても「おれは部品屋だ」と言い張り、財政難で橋や道路や消防車が維持できなくと知っていてもなお山間部の土地を「先祖代々の土地だから」と離れない日本人もいます。国家や民族単位での経済合理性だけを考えるなら非合理な態度ですが、しかしまた、人間という生き物の声として、その感情や思いは理解できないものでもありません。いずれにしても、彼らの1票がついに世界最強の国家に大統領を生んだことで、世界の民主主義は、理想主義が人間という非合理な生き物とそのエゴイズムをついに超えられないという事実と否応なく向き合うことになったと言えると思います。

 民衆は蒙昧な存在なので、一部のエリートが正しい判断を下した方が社会全体の富の総量は増える、という考えもかつてありました。かつて、というよりも、今もなお隣国では13億人の国民を抱えつつこの壮大な社会実験を続けています。ですが少なくとも、日本は、愚かでも賢くても、豊かでも貧しくても、国民一人ひとりに1票が与えられる社会を選択しました。選択した以上、その判断が非効率をはらむことは副作用やコストとして引き受けなければなりません。

 気がかりなのは、国家を超えるような経済規模と影響力を持つ企業がいくつも立ち上がりつつあることです。グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルと米国企業の頭文字を取って「GAFA」と呼んだり、あるいはバイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイと中国企業グループの頭文字を取って「BATH」と呼んだりする巨大IT企業群が成長を続けています。