2018年以降、「AIで多くの仕事が淘汰される」「AIにはできない仕事だけが残る」という議論がますます増えていくでしょう。究極的に言えば、およそ経済合理性を求める分野において、人間がAIに勝る分野などというものはないかもしれません。しかしながらAIによる「人間が従来、人間らしい・人間にしかできないと思っていた領域」に対する侵犯は、おそらく技術の進展と低コスト化が進む中で段階的に実現していくことになるはずです。その過程で、私たちの仕事は、すぐにAIに代替される分野とされにくい分野に分かれていくことになるでしょう。そこで私たちは、私たちにとっての「労働の価値」の反転――例えば、膨大な数の条文や判例を覚えて新しい判断を下すような仕事や、人間の身体を透過した膨大な映像の特徴を記憶して別の映像から病気の兆候を見出すといういうような仕事が、その難易度と付加価値の大きさゆえに、真っ先にコストをかけてAIに代替されていく一方で、接客業などの仕事はAIによる代替が進まない、というような――に直面していくことになるかもしれません。

 人間が、ただ生きる生き物ではなく、誰かのために、何かのために「はたらく」生き物だとするならば、AIの進化はその根底の価値観すらをも覆す可能性を持っていると言えると思います。

終焉した企業と個人の“共犯関係”

 2018年が「人間」を問い直す年になる、と私が考えるもう1つの背景は、昨今の「働き方改革」の議論の進展です。

 経済活動を可能にする資源には、ヒト、モノ、カネ、そして情報があります。企業社会は、サプライチェーンの最適化、直接・間接金融の整備やキャッシュマネジメントの導入、ITの活用によって、モノ、カネ、情報を最適に配分し、活用する技術を磨いて来ました。そして、ほぼ手付かずで取り残されていた分野がヒトのマネジメントでした。

 主として製造業などにおいては、ヒトの生産性を管理する手法がいくつか試みられてきましたが、その多くは、ヒトを生産設備のように見立てて、一定の時間内にいかに品質を落とさずに生産量を最大化するかに眼目が置かれたものでした。ところが今、企業社会や経済活動の中で、経営資源の1つに過ぎなかったはずのヒトが人間としての姿で立ち現れ始めています。ワークライフ・バランスをどう取るか。出産や介護とどう両立するか。働き甲斐をどう感じるか。いずれも生産設備には生まれ得ない悩みです。

 最も扱いの難しいこの経営資源とどう向き合うか。2018年以降、企業経営における最大のテーマの1つになることは間違いないでしょう。

 働けば働くほど豊かになれる個人と、働かせれば働かせるほど成長できる企業。この二者の“共犯関係”は、国全体の成長、全員の成長を前提にしたものだったように思います。しかし、経済のグローバル化が優勝劣敗を決する速度を飛躍的に上げる中で、全員が成長すると思える幸福な時代が訪れることは二度とないでしょう。そこに加えて、一定以上豊かになった個人の中には、「豊かになる」以外の幸せの尺度を持つ人たちも出てきました。さらに、人口減少や少子高齢化によって労働力が減少し、企業と個人の力関係は一変。結果として、共犯関係は失われてしまいました。失われた以上、企業の成長と個人の幸福は、努力なくして一致しないものになってしまったと言っていいはずです。