本格的に普及して20年余り。SNSが一般化し、また1人1台のスマホを24時間手元に置き続ける人が増えていく中で、インターネットは、単なるクライアント/サーバーモデルによるパソコン通信の代替ではなく、真に“インターネット的”と呼ぶべき特性――肉声的で、パーソナルで、リゾーム的な特性を宿しつつある。フェイスブックよりもさらにパーソナルで肉声的なLINEなどの第3世代のツールしか使わない層も増えている。

 それを「書き言葉の文化」の退化と見る向きもあるだろう。あるいは、一部の特権階級が情報流通を制限することで覆い隠してきた「話し言葉の文化」――古来、知恵や知識を伝えるために身近な人たちと交わしてきた情報伝達の在りようの復権と見る向きもあるだろう。いずれにしても、「ごく自然な、土俗的な感情」を揺さぶるポピュリストは、こうしてインターネット上に形成される肉声的なコミュニティと極めて相性が良い。「偉大な米国を取り戻せ」という肉声は、「自由貿易は世界大戦の反省から生まれた共栄の枠組みだ」というエスタブリッシュメントによる書き言葉を容易に塗りつぶし、上書きしていく。米国では、フェイスブックでシェアされた偽ニュースが、旧来のメディアの報道よりもよりも有権者の意思決定を左右したことが問題視されている。

 この現実と、私たちは向き合う必要がある。

受肉するインターネット

 2017年以降、インターネットの“受肉”が進むはずだ。

 インターネットが登場してしばらくは、その存在は多くのユーザーにとって「ウェブ」でしかなかった。文字と、画像と、動画や音声など、パソコンで再生できるコンテンツをハイパーテキストで結び付け、アップロードし、またダウンロードできる仕組みでしかなかった。

 だが、スマホが普及して1人1台、インターネットに接続できる小型のデバイスを常に持ち歩くことは珍しいことでなくなった。今後、位置情報やカメラによる画像だけでなく、天候や健康状態など様々な情報を収集する各種のセンサーがインプットを増やし、ゴーグルや音声再生デバイスの普及によって私たちユーザーに対するアウトプットの量も増大させるだろう。人間に付随しないモノもインターネットに接続するようになり(IoT=モノのインターネット化)、社会全体が様々なかたちでインターネットに記録されていくことになるだろう。

 その先にあるのは、画面上で触れるしかなかったインターネットが、私たちの物理的な世界自体を変えていく時代だ。“インターネット的”なコミュニティや情報伝達が、政治アナリストの多くが姿を見ることもすらできなかった政治勢力を形成し、米国で大統領を生んだことはその巨大な一例だった。政治だけではない。ある時はドローンが人間を代替し、ある時はエリート教育を集合知が覆し、ある時はタクシーの無線配車システムをシェアリングエコノミーが廃れさせていくだろう。その時、「IT業界」や「ITベンチャー」が、パソコンの中だけで何かの仕組みを実現する人たちな業界だと考えていた企業や組織は、自らの権益が脅かされていることにすら気づかないかもしれない。「インターネット」が巨大な無料のパソコン通信でしかないと考えていた人々は、そのラディカルな本質に気づけないかもしれない。

 好むと好まざるとに関わらず、私たちは、ようやく現実世界に姿を見せ始めた真に“インターネット的”なるものと対峙している。しかもそれはパソコンの中にあるのではなく、私たちの目の前に、世界大戦以来の枠組みをなぎ倒すほどに力強く現出しつつある。あらゆる人や組織にとって無縁な存在ではあり得ない。