一つの経済圏の中では、最適なものを最適な場所で生産するインセンティブが働く。経済学はこう説いてきた。例えば、日本の中では北海道がジャガイモの生産に最も適していたとしても、TPPによって経済圏が統合されていけば、同経済圏の中で、天候や地勢などの資源や、輸送、労働力、肥料などのコストにおいてジャガイモ生産に最も適した場所――例えば、米国のアイダホに生産は収斂していく。この時、北海道のジャガイモ農家が採るべき態度は2つしかない。1つは、アイダホのジャガイモに負けない北海道産ならではの付加価値を作ったり、あるいはジャガイモ以外のものを生産したり、(実現性は置くとして)ジャガイモ生産の技術を携えてアイダホに移住したりと、競争の軸を変えること。そしてもう1つは、TPPに反対して参入障壁――ブロック経済を守ること、だ。

 経済を、国内総生産(GDP)で表されるものとして捉えるのか、それとも、人々がそれぞれ幸せに生きようという無数の営みとして捉えるのか。その立場の違いによって導かれる答えは異なってくる。

 理屈で言えば、20世紀前半にブロック化が結果的に世界経済のパイを縮小させたように、モノやカネの動きを制限することが経済成長を助けたことは史上ほぼない。第一、日本経済が少子化で縮小していく中で自国市場を閉鎖しても、守っていけるパイはどんどん縮小していき、得られる富の総量は減っていく可能性が高い。だから、条件闘争は別として、経済統合そのものに対する反対は、純粋に経済の成長を基準に置くならば「非合理的」と言っていい。だが、「日本経済の成長」なるものに対する考慮よりも、自分の仕事や家族と共に住んでいる土地に対する愛着、あるいは自分たちの明日の糧の方を優先することが、人間としての「ごく自然の感情」の現れであることもまた間違いないだろう。

 ポピュリストと呼ばれる政治家の声は、人間の、そうした土俗的で自然な感情を強く揺さぶる波長を持っている。エスタブリッシュメントが「上から目線」で諭すように「自由貿易が国を豊かにする」「あなたたちは国を開くために変わらなければならない」と言うよりも、野蛮だが力強い肉声で「周囲の国を屈服させて偉大な国家を取り戻そう」「あなたたちは何も変わる必要がない」と言う方が、はるかに多くの人の心を掴んでしまう。

 もちろん、いつの時代にもその類の政治家はいた。だが、なぜ彼らは今、民主主義を暴走させることができているのか。これまでとは、一体何が違うのか。

 その答えは、「インターネット」の存在だろう。

リゾームとしてのインターネット

 インターネットを支える仕組みの根底には、管理者が君臨し、あるサーバーにクライアントが接続するクライアント/サーバーモデルに対するアンチテーゼとして、世界に無数に散在するコンピューターが別のサーバーと繋ぎ、その無数の連鎖によって網の目のような巨大なネットワークを構築するという考え方がある。人間の組織で言えば、社長を頂点として部や課に樹木のように枝分かれしていく会社や、国、県、市町村と細分化されていく自治体、軍隊なども同じくクライアント/サーバーモデルで組織図を描くことができる。だが、本来の人間同士の関係は、そのように美しく枝分かれしていく樹木構造を描くものではない。地下茎(リゾーム)のように、もっと複雑で立体的に絡み合い、不規則に重なり合うものだ。すでに定着しつつあるフェイスブックなどのSNS(交流サイト)は、リゾーム的な技術基盤から成るインターネット上で、リゾーム的な人間関係をそのまま再現するようなサービスだと言えるだろう。従来の金融システムに対する、ブロック・チェーンの考え方もすぐれてリゾーム的な思想に基づいている。

 グーグルとフェイスブックを比較すれば分かりやすい。前者は、有象無象の情報が散在するインターネットから情報を得る手助けをしてくれる検索サイトだ。彼らのアルゴリズムで余計な情報は削ぎ落し、ユーザーが得たいと願う情報を見つけ出す。一方で後者は、グーグルが削ぎ落すようなノイズや肉声を、日々、膨大な量、保存し続けている。ある菓子について、その価格やメーカーなどについて調べたければグーグルを使えばいい。だが、その菓子について関心も予備知識もまったくなかったユーザーが、友人が「おいしい」と写真をアップロードしているという理由でその菓子を知るきっかけを得ることができる、というのがフェイスブックの面白さだ。無名の個人に過ぎない友人が、ある菓子を気に入っているという事実は、グーグルのアルゴリズムにとっては意味がないが、その友人を交流するフェイスブックユーザーにとっては価値がある。

 グーグルは、有象無象の情報で溢れるインターネットを、「正しい」「最大の人が必要とする」情報のかたちに変換してくれるサービスだ。それは、本来はリゾーム的な情報の坩堝を、権威ある発信者が一方向で情報を伝達するクライアント/サーバーモデルの情報伝達に“翻訳”しているとも言い換えられる。一方のフェイスブックは、世界数億人の権威なき肉声をありのままに収集し、共有させ続けている。「書き言葉」的な権威を形成するのがグーグルだとすれば、「話し言葉」にこそ価値を見出すのがフェイスブックとも言えるだろう。