対立その3:「エルドアン政権vsギュレン師」
休暇で首都を離れていたエルドアン大統領は、クーデター発生直後、CNNの取材に応じて、クーデターがギュレン運動の影響を受けた勢力によるものと非難した。
「ギュレン運動」とは何か。1941年にトルコ東部に生まれたフェトフッラー・ギュレン氏が提唱し、トルコ全土に支持者を持つ社会運動だ。その思想は、イスラム復興運動にも見え、貧困撲滅などを目指した社会活動にも見える。政治システムとしての世俗主義と、生活と精神のよりどころとしてのイスラムは矛盾しない、という穏健な思想とも説明される。その玉虫色のごとき懐の深さゆえに、イスラム保守層から世俗主義者まで幅広く支持を集めて来た。
ただ、上記エルドアン大統領の発言を理解する上で重要なのは、その思想の内容ではない。このギュレン氏が、エルドアン大統領が属するAKP設立当初はその強力な支持者であったという事実と、しかし今はエルドアン大統領と袂を分かち、米国に亡命しているという事実だ。
上で述べたように、エルドアン氏はクーデターで追われることのないように国軍から政治力を奪って権力下に置いた。その過程で、エルドアン氏はギュレン氏の影響力を後ろ盾のひとつとした。かつて両者は蜜月の関係だったと言っていい。
しかしエルドアン氏が権力を掌握し、政権が強権的な色彩を帯びてゆくなかで両者の関係は次第に悪化。2013年末、エルドアン政権に、閣僚やその親族を巻き込んだ大規模汚職事件が起き、ギュレン派が浸透していると言われる捜査当局がこの捜査に本腰を入れたことで亀裂は決定的になった。2015年、エルドアン政権は、かつて最大の支持勢力だったギュレン派を、国家転覆を企むテロ組織として指定した。いまや両者は明確に「政敵」となっているのだ。
ただし、ギュレン氏は今回のクーデターに対する関与を否定している。
上記の経緯から今回のクーデター報道を見るなら「エルドアン政権は、今回のクーデターを、かつての支持母体であり今は政敵となったギュレン派による巻き返しであると見ているが、ギュレン氏は関与を否定した」という理解になるだろう。
3つの対立が複雑に絡み合う
ここまでトルコの社会に横たわる3つの断絶について書いてきた。世俗主義とイスラム。都市部と地方。そして、ギュレン派とエルドアン政権。いずれも大雑把に要約してしまえば「反政府vs政府」となってしまうが、それぞれの勢力は必ずしも反政府的とは限らないし、重なりもしない。これらの断絶や対立が重層的にせめぎ合いながら一方に寄らずバランスするのが、トルコの政治システムに安定をもたらして来た。バランスが取れないほどに蓄積されたひずみを解消するために採られてきた手法の一つがクーデターだった。
ひずみは頂点に達していたと言えるだろう。ますますイスラム色を強めるエルドアン政権に対して、「世俗主義者」たちは対抗する術を持てずにいた。2013年にイスタンブールなどで大規模な反政府デモに参加した「都市生活者」たちも、政権の強権にもはや沈黙を守っていた。テロ組織に指定された「ギュレン派」は監視下に置かれ、力を失っていた。エルドアン政権は誰の目にも強くなりすぎていたのだ。
クーデターがどのような勢力によるものであれ、この圧倒的な構造をリセットする力が働こうとした政治現象と考えて差し支えないだろう。「上塗り」された政治構造の下で息を潜めていた何者かが、つかの間覗いた綻びから現れて弓を引いた。だが、失敗した。リセットの機構は働かなかった。働かないほどにエルドアン政権は強くなっていた。
クーデターの失敗によって、エルドアン勢力は反政府勢力をさらに追う政治的な理由を手に入れた。すでに政権はクーデターに関与した疑いで反政府的な勢力を拘束し、クーデター防止の名目で「死刑」の復活にも言及している。これまでも報道機関などに対して監視体制を敷くなど言論の自由を認めない姿勢を見せてきたが、その傾向に拍車がかかる可能性もあるだろう。経済的なダメージは別として、一部欧州のメディアが「クーデター騒動はエルドアン大統領の自作自演」と陰謀論を書きたくなる気持ちも分かるほどに、政治的にはエルドアン政権を利するばかりの騒動だった。
上記のように、エルドアン大統領はかつてEUとNATOの離脱を訴え、「強いトルコ」を取り返そうという政治姿勢が「新オスマン主義」とも称された。その強権の宰相の姿は、英国はEUから離脱すべきと説いた政治家や、「強い米国を再び」と保護主義を訴える大統領候補とも重なって見える。
民主主義を基盤とした欧州的な価値観を持ち、宗教や文化はイスラムに礎を置き、民族としては中央アジアに近い。いわば、文化と宗教と民族の結節点。コンスタンティノープルがイスタンブールに名を変えたように、異なるものが入れ替わり、交じり合い、その多様性の中でたくみにバランスを取って自在に姿を変えるのがトルコの強さだった。このバランサーが一方に偏ることの地政学的なリスクは世界にとって小さくない。だが、このクーデターによってますます、その可能性は避けがたいものになったと言っていいだろう。
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