次に紹介するのはミツハシの得意分野の落語だ。『えんま寄席 江戸落語外伝』(車浮代著、実業之日本社)が面白かった。この本はミツハシが紹介したほうがいいだろう。

何度もニヤリとさせられるんです

ミツハシ:『えんま寄席』もシマジさんに紹介されて読みましたが、「やられた」というのが素直な読後感です。古典落語の名作「芝浜」「子別れ」「火事息子」「明烏」を素材にして、それらの噺の裏に秘められた男女や親子の愛憎のストーリーを展開した小説で、さっきのシマジさんの言葉を借りれば「落語ファンなら随喜の涙を流すんじゃないか」と言いたくなるほど、巧みに本歌取りをしている。

 「芝浜」や「子別れ」といったここで題材にされている噺は、夫婦の情愛や登場人物の健気さが胸を打つ人情噺、つまり「いい話」なわけですが、実はその裏に猜疑や怒り、嫉妬、打算といった人間の負の感情が大量に隠されていたとする発想が新鮮で、これまた一気に最後まで読みきりました。

シマジ:ミツハシが「やられた」と感じたというのはどういうことだ?

ミツハシ:落語ファンなら、例えば「たがや」の主人公はその後どうなるんだろう、「文七元結」の長兵衛はあれで本当に立ち直ったんだろうか、といった疑問を必ず持つものです。とくにいい話である人情噺の場合は、世の中そんなうまくはいかないよという大人の常識みたいなものが、聴く者に噺に隠されたサイドストーリーを妄想させる部分がある。そうした落語ファンが心の片隅に抱く疑念を極めて高い水準のエンターテイメント小説に結実させた手腕に「やられた」と感じました。

シマジ:なるほど。「先にやられてしまった」というところだな。

ミツハシ:それに近いですね。しかも、4編の物語の登場人物が相互に関係していて、本歌にする4つの噺以外に「厩火事」「品川心中」「三枚起請」といったいくつもの名作をストーリーの中に盛り込んでいて、何度もニヤリとさせられるんです。

シマジ:俺はミツハシほど落語に詳しくないが、そんな俺でも江戸の人々の愛憎劇として十分に楽しめた。落語ファンでなくても面白い小説だと思ったね。

ミツハシ:確かにそうですね。ただ、それはやはり元になっている噺の力だと思います。骨格がしっかりしたハッピーエンドの噺だからこそ、その裏にドロドロの愛憎劇を配置することで大きなコントラストが生まれる。元になっている4つの噺を聴いてから読むとさらに愉しめる本だと思います。