本を紹介してください
Q最近読んだ本で良かったものを何冊か紹介してください。ちなみに本は1冊ずつ読みますか?あるいは併読ですか?
(27歳・男性)
ミツハシ:「乗り移り」も残り2回になりました。次回の最終回は特別編として、「乗り移り」がどのようにして生まれ、どのように続いてきたのか、そんな四方山話をしたいと思っています。
とういうわけで読者の相談に答える通常スタイルは今回で最後ということになります。掉尾を飾るに相応しい相談は何かと考えたのですが、やはりシマジさんと言えば読書でしょう。今週はブックレビューをやりましょう。
シマジ:ミツハシ、さすが高弟だな。「シマジと言えば女」ではなく「シマジと言えば読書」とは、よくぞ喝破した。俺は女が大好きだ。シガーにもシングルモルトにも淫している。だが、何よりも俺を捕らえて放さないのは本だ。
女とシガーとパイプとシングルモルト、そしてゴルフやお洒落といったものは、俺の人生に大きな影響を与えてきたが、それらすべてを足したものより読書の影響の方が大きいだろう。よし「乗り移り」最後のブックレビューをやろう。
ミツハシ:では早速1冊目から。
あまりの面白さに一気に500ページ以上を読み終えました
シマジ:『つかこうへい正伝1968-1982』(長谷川康夫著、新潮社)が抜群に面白かった。つかこうへいとは昔、何度か会ったことがあってね。エネルギッシュで熱くて矛盾していて、一緒にいてワクワクする人物だった。
『つかこうへい正伝』は、慶應の学生だったつかが芝居に出会い、早稲田大学の劇団「暫」に加わって当時の早稲田の学生たちと活動を始めた時代に始まり、劇団「つかこうへい事務所」の解散に至るまでの14年間を576ページにわたって詳述したノンフィクションだ。
脚本家である著者は、早稲田の学生としてつかこうへいと出会い、役者そして照明係として、劇団解散までつか作品を支えてきた。つねに行動を共にしてきた人物だけに、つかを神格化せず、彼の弱い部分や汚い部分も赤裸々に書いている。その描写の裏側には稀代の劇作・演出家への愛情がしっかりと息づいている。
ミツハシ:私もシマジさんから薦められて読みましたが、あまりの面白さに一気に500ページ以上を読み終えました。1984年に大学生になった私にとって、この本に書かれている時代のつかこうへいの芝居をリアルタイムで経験する機会はなく、深作監督作品の映画「蒲田行進曲」がつか作品との最初の出会いでした。もうちょっと早く東京で大学生活を始めていたら、ここに書かれている熱気や狂気の一端に触れられたかもしれないんですよね。
シマジ:ミツハシは東京オリンピックの年の1964年生まれだよな。この本が最初に描く1968年というのは学生運動がピークを迎えた時期だ。ご存知の通り、その後、運動は急速に下火に向かっていった。若者たちがあり余るエネルギーの向け場を失った時代に、つかこうへいは若者たちを巻き込み、新しい芝居を作っていく。
そんな14年間を描いたこの本は青春記といってもいいだろうね。つかとの共同作業に熱中というか熱狂した早稲田の学生たちの何人もが大学を中退していくのも、いかにも青春っぽいだろ。俺よりもう少し後に生まれた団塊の世代なら、この本を読んで随喜の涙を流すんじゃないかな。「面白かった本を教えてくれ」と相談を送ってきてくれたのは27歳の男性か。それなら、この本を読んで、ひとりの男の情熱がどれだけのものを作り上げられるかを知り、刺激にしてほしいね。とにかく最近読んだノンフィクションの中ではピカイチだ。
次に紹介するのはミツハシの得意分野の落語だ。『えんま寄席 江戸落語外伝』(車浮代著、実業之日本社)が面白かった。この本はミツハシが紹介したほうがいいだろう。
何度もニヤリとさせられるんです
ミツハシ:『えんま寄席』もシマジさんに紹介されて読みましたが、「やられた」というのが素直な読後感です。古典落語の名作「芝浜」「子別れ」「火事息子」「明烏」を素材にして、それらの噺の裏に秘められた男女や親子の愛憎のストーリーを展開した小説で、さっきのシマジさんの言葉を借りれば「落語ファンなら随喜の涙を流すんじゃないか」と言いたくなるほど、巧みに本歌取りをしている。
「芝浜」や「子別れ」といったここで題材にされている噺は、夫婦の情愛や登場人物の健気さが胸を打つ人情噺、つまり「いい話」なわけですが、実はその裏に猜疑や怒り、嫉妬、打算といった人間の負の感情が大量に隠されていたとする発想が新鮮で、これまた一気に最後まで読みきりました。
シマジ:ミツハシが「やられた」と感じたというのはどういうことだ?
ミツハシ:落語ファンなら、例えば「たがや」の主人公はその後どうなるんだろう、「文七元結」の長兵衛はあれで本当に立ち直ったんだろうか、といった疑問を必ず持つものです。とくにいい話である人情噺の場合は、世の中そんなうまくはいかないよという大人の常識みたいなものが、聴く者に噺に隠されたサイドストーリーを妄想させる部分がある。そうした落語ファンが心の片隅に抱く疑念を極めて高い水準のエンターテイメント小説に結実させた手腕に「やられた」と感じました。
シマジ:なるほど。「先にやられてしまった」というところだな。
ミツハシ:それに近いですね。しかも、4編の物語の登場人物が相互に関係していて、本歌にする4つの噺以外に「厩火事」「品川心中」「三枚起請」といったいくつもの名作をストーリーの中に盛り込んでいて、何度もニヤリとさせられるんです。
シマジ:俺はミツハシほど落語に詳しくないが、そんな俺でも江戸の人々の愛憎劇として十分に楽しめた。落語ファンでなくても面白い小説だと思ったね。
ミツハシ:確かにそうですね。ただ、それはやはり元になっている噺の力だと思います。骨格がしっかりしたハッピーエンドの噺だからこそ、その裏にドロドロの愛憎劇を配置することで大きなコントラストが生まれる。元になっている4つの噺を聴いてから読むとさらに愉しめる本だと思います。
学問の前提さえ崩しかねない世界観
シマジ:次はガラリと変わって『20世紀のファウスト(上・下巻)』(鬼塚英昭著、成甲書房)を薦める。上下巻合わせて1400ページ近い大作だが、一読、巻を措く能わずとはこの本のことだ。20世紀の歴史的大事件の裏側には国際ユダヤ資本の意志が働いている。それをトルーマン政権の商務長官を務めた実業家のアヴェレル・ハリマンを通じて描ききったのがこの本だ。
ミツハシ:つまりユダヤ謀略説の本ですか。
シマジ:ありていに言えばそういうことであり、世間的に見たら、この本は奇書の類かもしれない。でも、この本を俺に教えてくれたのは経営学の阪口大和教授でね。阪口教授は「この本を読んだら、学生に経営学を教えるのが虚しくなった」と言っていた。そりゃあそうだろう。ロスチャイルド家をはじめとするユダヤ資本が世界を実質的に支配しているという構図は、組織経営や経済の法則性を明らかにしようとする学者からしたら、学問分野の前提さえ崩しかねない世界観だからね。
でも、そこまで言われたら読んでみたくなるじゃないか。それで手に取ったら、あまりの面白さに夢中になってしまった。これまでにユダヤ謀略説の本は大量に出版されてきたが、この本はちゃちな謀略本とはスケールも緻密さも違う。著者は大分県に住む一般にはそれほど知られていないノンフィクション作家のようだが、翻訳されていないものまで含め、大量の資料に当たり、史実の裏に隠されたストーリーを緻密かつ大胆に再構築している。その知識の膨大さと構想力に圧倒されたね。
ミツハシ:ほう、シマジさんにそこまで言われると私も読んでみたくなります。
シマジ:読むべきだよ。日露戦争の戦費調達にしても第一次世界大戦の敗戦国ドイツへの多額の賠償請求にしても、世界史の重要局面にユダヤ資本が大きな役割を果たしたのは事実であり、我々が生きているこの世界は当然ながら過去と地続きだ。資本主義の世界においては資本こそが力となり政治を動かす。それは紛れもない事実であり、『20世紀のファウスト』は資本が世界を、そして人々の運命を冷酷に左右するこの時代の恐ろしさを教えてくれる。やはり人生は恐ろしい冗談の連続だね。
もちろん、資料をもとに再構築されたストーリーには著者の思い込みが入り込む。だが、それは読者が取捨選択をすればいい。著者の見事な包丁裁きを愉しみながら、現代につながる世界史の裏面を学んでもらいたいね。
お次は『ソラリス』(スタニスワフ・レム著、国書刊行会)を薦めたい。
大事なのは、毎日歯を磨くように本を読むことだ
ミツハシ:SFの古典ですね。
シマジ:『ソラリスの陽のもとに』に感動した読者は多いだろう。この本は、国書刊行会が出したスタニスワフ・レムコレクションの1冊で、ポーランド語の原典から訳出され2004年に出版された本だが、久しぶりに読んで感動を新たにした。
ちょっと前に、伊勢丹メンズ館のサロン・ド・シマジで文学談義に花が咲いてね。そのときに『ソラリスの陽のもとに』の話題になって、常連のアキヤマからポーランド語版からの翻訳が出てますよと教わって早速購入したんだ。そうしたら、国書刊行会の本だった。ここは本当にいい本を復刊させるね。たぶん、こういう目立たない、だが良心的な仕事というのはビジネス的には赤字だろう。だからこそ、「乗り移り」読者はこういう良書を買って、日本から出版文化が消えないように応援してほしい。
最後に2冊『湛山読本』(船橋洋一著、東洋経済新報社)と『イタリアからイタリアへ』(内田洋子著、朝日新聞出版)を薦めよう。
『湛山読本』は、東洋経済新報社の主幹として活躍したジャーナリストで戦後は政治家に転じ、首相を務めた石橋湛山の論説70本を朝日新聞出身のジャーナリスト船橋洋一さんが解説した本だ。このすがすがしい自由主義者の政治家がいまの時代に生きていたら、一体どんな言葉を投げかけるだろうな。石橋湛山の慧眼に驚かされる一冊だ。
内田洋子さんの本は、これまでにも何冊か紹介してきたと思うが、新刊の『イタリアからイタリアへ』も素晴らしい。
ミツハシ:私も内田さんの本は大好きです。よくこれだけイタリアの人々の暮らしの内側に入り込んで見事な物語を紡げるものだと、いつも驚かされます。
シマジ:今回の本は、これまで以上にイタリアの暗い部分、難しい部分に踏み込んでいる。俺はイタリアというのは日本の先行指標じゃないかと思うところがあってね。この本も「乗り移り」読者にぜひ読んでもらいたい。
ミツハシ:そういえば相談者は、シマジさんの読書は「1冊ずつ読みますか?あるいは併読ですか?」と訊いていますが。
シマジ:あまり意識したことはないが、何冊か並行して読んでいるね。1回2~3時間の読書時間は1冊の本を読み続けているが、その次の時間には別の本を手に取っていることが多いかな。まあ、読書スタイルは人それぞれだから、好きなように読んでくれ。大事なのは毎日歯を磨くように本を読むということだ。
書籍のご案内
本コラムの中から特に読者からの反響の大きかったものを厳選して編集したのが「乗り移り人生相談傑作選」です。第一作『男と女は誤解して愛し合い理解して別れる』(2013年11月発行)(2013年11月発行)、第ニ作『毒蛇は急がない』(2014年6月発行)をぜひお手元に!
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