2月12日、日曜日、スウェーデンの空に日の丸が上がり、フィンランド国歌に続いて君が代が流れました。
世界ラリー選手権(WRC)に18年ぶりに復帰したトヨタが、復帰2戦目となるラリー・スウェーデンでトヨタのヤリ=マッティ・ラトバラ選手が優勝、という快挙を成し遂げたのです。私が何年も必死に追いかけてきた(※)、自動車レースの世界最高峰の選手権で、君が代が流れるなんて。ライブ中継を見ながら、とても感動しました。
(※お仕事でもないのに、厳寒期の欧州や、猛暑の地中海、オーストラリアなどなどまで行ってます…そのドタバタはよろしければ連載の「“ドM”にはたまらないWRC観戦!?」などをどうぞ)

しかしながら、これだけの快挙にもかかわらず日本のメディアの反応は鈍く、一般紙でもテレビでもほとんど報じられておりません。WRCを知らない方にゼロベースで説明する企画も、最後にご紹介するテレビ番組を除き、一般メディアでは見かけません。
コメント欄で温かく見守ってくださる、WRCファンの方にはもうお分かりのことばかりと思いますが、日経ビジネスオンラインに場所をいただいていることを幸いに、不肖、岡本が、今回の優勝の背景をご説明させていただこうという所存です。以下、文中敬称略で失礼します。なお、WRCのより詳しい競技ルールにつきましては、「週末スペシャル!ラリーに入門企画」をご覧頂ければ幸いです。
さて、トヨタが復帰1戦目のモンテカルロラリーでいきなり2位表彰台という素晴らしい結果に驚いたことは、前回(こちら)で詳しく書かせていただきました。その中で「スウェーデンは、北欧系のドライバーは得意としているので、けっこう行けるかもしれない」と書いてはいましたが、まさか優勝とは。謝ります。ごめんなさい。
こんなにも早くトヨタがWRCで成功するとは思っていませんでした。むしろ、ライバルチームよりも成果を上げるのには時間がかかりそう、と思っていました。もっとも、そう予想していたのは私だけではなく、多くのWRC関係者が同じように考えていたのです。
つれなかった勝利の女神が、急にほほえんだのは?
トヨタといえば、かつてはWRCで栄光を手にした時代もありましたが、サーキットレースに転向した2000年代以降は、F1に参戦するも1度も優勝できずに撤退。世界耐久選手権(WEC)の華、ル・マン24時間では、昨年、レースを完全に支配して悲願の初優勝をほぼ手中にしていたのに、ゴールわずか3分前にマシンがストップするという悲劇。
トヨタはモータースポーツの女神から見放されているのか・・・と、思っていたら、いきなり、WRCで優勝を手にしてしまうという。ラリー・スウェーデンのTV中継には、トロフィーを手にして感無量な様子の嵯峨宏英チーム副代表が映っていました。8カ月前、ル・マン24時間のTV中継に映し出された嵯峨氏のまさに「茫然自失」といった表情とは大違いで、思わず涙がこぼれそうになりました。

トヨタにとっては、1999年ラリー・チャイナでのディディエ・オリオールによる勝利以来、18年ぶりのこと。日本の自動車メーカーとしては、2005年ラリーGBでのスバルのペタ-・ソルベルグ以来12年ぶりでした。
こんなにあっさり勝ててしまうのは、WRCが簡単だから…というわけでは、けしてありません。WRCだって、F1、WECと並ぶ自動車競技の世界最高峰カテゴリー。そこで勝つのは容易なことではないのです。
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