カルマを神社で祓えるのかといったツッコミはおいておき、スポーツの勝利祈願で御利益があるという東京、亀戸の香取神社へお参りしました。そしてジュリアンに「あなた達のカルマはもう消滅したので心配はいらない。ここからは勝てます」とメッセージを送ったのでした。

 そして、第10戦ラリー・グレートブリテン(GB)では、オジェたちが優勝しました! 香取神社のご霊験あらたか……もあったかもしれませんが、客観的に言えば湿って滑りやすいGB特有の路面が勝因でした。悪いコンディションのもと、オジェが持ち前の抜群のコントロール力を発揮して、優勝を勝ち取ったのです。オジェは、トップドライバーたちの中でも、タイヤの持たせ方、さまざまな路面への適応力がずば抜けているのです(コドライバーのイングラシアは、「日本から良い波が届いた」ととても喜んでくれていたので、彼らの気分を少しでも変えるのに役立ったなら何よりでした)。

 実はGBでは、またもタナクがライバルたちとは次元が違う速さを見せつけていたのです。圧倒的リードを築いていたのですが、ジャンプで着地したときの衝撃でサンプガードという車の下部にある部品が外れ、エンジンの冷却を司るラジエーターを破損してリタイヤに見舞われてしまったのでした。このアクシデントがなければタナクがGBも勝っていたでしょうし、彼が王座を手にして、トヨタがドライバー、コドライバー、マニュファクチャラーの3冠を達成していた可能性もありました。

 GBを終えた時点で、選手権の順位はヌーヴィル189ポイント、オジェ182ポイント、タナク168ポイント。

タイトルが遠のいたように思えたものの、GBで優勝して再び選手権争いに復帰したオジェ/イングラシア ©Red Bull Content Pool
タイトルが遠のいたように思えたものの、GBで優勝して再び選手権争いに復帰したオジェ/イングラシア ©Red Bull Content Pool

 続く第12戦スペインは、初日がグラベル(未舗装路)、残り2日がターマック(舗装路)という唯一のミックスサーフェイス(複数の種類の路面を走る)ラリーなのですが、さらに雨が降ったことで余計にドライバー達を手こずらせました。ライバルたちがドライタイヤを選択する中、タナクはウェットタイヤをチョイス。当初はそれが正解に見えたのですが、思ったより摩耗が激しくパンクしてしまいました。スペインを終えた時点で、タナクの自力優勝の可能性は消えてしまったのです。

スポット参戦のローブが優勝

 ちなみに、スペインを制したのは、セバスチャン・ローブです。2018年は第3戦メキシコ、第4戦コルシカ、そしてスペインの3戦にスポット出場。WRCのルールでは、選手権の順位順でラリー初日をスタートします。グラベルでは、先頭出走ほど路面に積もったダストを掃除する役割を担うため、不利になります。フル参戦しておらず、選手権の順位が下位のローブは、出走順の利を生かして初日に4位につけると、2日目からじわりと順位を上げ、最終日にはギャンブルとも思えたタイヤ選択を的中させ、優勝したのです。

 雨で湿った状況で、皆がソフトタイヤを選択し、ローブも直前までソフトタイヤを装着してサービスを出ようとしていたところ、独断で「この状況ならハードタイヤだ」と急きょ履き替えたというのです。繰り返しますが、この人は6年間もフル参戦してません。しかも、WRカーは2017年に大幅にスペックが変わっていて、ローブにとって新WRカーでウェット路面を走ったのは、これがぶっつけ本番だったにもかかわらず、です。かくして、自身がもつWRC最多勝利記録を78から79へ塗り替えたのでした。すごすぎ。

スペインで優勝したローブ。表彰式では、バク宙を披露した(ローブは元体操選手) ©Citroen Racing
スペインで優勝したローブ。表彰式では、バク宙を披露した(ローブは元体操選手) ©Citroen Racing

 スペインでは、ヒュンダイがジョーカーを切って新スペックのエンジンを投入したものの、選手権リーダーで初日のグラベルを先頭出走したヌーヴィルは順位を落とし、そこからなかなか上がることができませんでした。オジェも2番手出走でタイムを落としてはいましたがロスを最小限に抑え、最終的にはなんとか2位でフィニッシュ。いよいよ最終戦のみとなった時点で、選手権は、オジェ204ポイント、ヌーヴィル201ポイント、タナク181ポイント。

 オジェとヌーヴィルの差は、わずかに3ポイントです。それに、今度はオジェが先頭で出走しなければなりません。オーストラリアの路面はふかふかのダストが積もっているので、先頭出走よりも、かえって2番手出走のヌーヴィルが有利にすら思えました。タナクは、タイトルの可能性は低いものの、ライバル2人が失速し、自分が優勝すれば、大逆転のチャンスが残っていました。ラリーでは何があるか、最後までわからないのです。例えば、1998年の最終戦ラリーGB。カルロス・サインツ(F1ドライバーの息子ではなくて、お父さんのほう)がタイトルをほぼ手中に収めていたのに、なんと最終SSのゴールからわずか300メートル手前でエンジンがブロー。タイトルを逃したのでした。

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