障がい者と健常者の境界はあいまいになる
為末大氏が描く2020パラリンピックの東京の姿(前編)
21世紀は都市間競争の時代だ。2020年東京五輪に向けて都市の改造や再開発が進む中、東京が世界で最も魅力的な「グローバル都市TOKYO」に進化するにはどうすればいいのか。2020年以降を見据えて「TOKYO」の持続的発展と課題解決に向けた具体的な提言を続けてきた(詳細は「NeXTOKYO Project」参照)。
TOKYOの進化の方向性を、NeXTOKYOメンバーである各界のキーパーソンと語り、未来へのヒントを探る。今回は為末大氏。義足開発会社のXiborg(サイボーグ)を立ち上げた為末氏。2020年に開催されるパラリンピックに向けた取り組みを通して、東京がどのように変わることを期待しているのか。聞き手はA.T.カーニー日本法人会長の梅澤高明(NeXTOKYOプロジェクト)、構成は宮本恵理子。
1978年広島県生まれ。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2014年10月現在)。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。2003年、プロに転向。2012年、25年間の現役生活から引退。現在は一般社団法人アスリートソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)、Xiborg(2014年設立)などを通じ、スポーツ、社会、教育、研究に関する活動を幅広く行っている(撮影:竹井 俊晴、ほかも同じ)
為末さんはトップアスリートとして実績を積み、現在は様々なチャネルで社会に向けた先進的な活動をなさっています。中でも私が注目しているのは、ソニーコンピューターサイエンス研究所の遠藤謙さんと立ち上げた義足開発会社「Xiborg(サイボーグ)」の取り組みです。パラリンピックに向けて非常に期待が寄せられる分野です。まず2020年に東京で開催されるパラリンピックの意味をどう見ていますか。
為末氏(以下、為末):いくつかあると思いますが、僕が最も見てみたいのは、「パラリンピアンがオリンピアンに勝つ」という場面です。それがかなり現実的になってきたほど、義足の開発は進んでいます。
カタールのドーハにパラリンピアンの競技の様子を見に行ったんですが、目を見張る場面をいくつも見ることができました。大腿義足といって、大腿部から棒状の義足を着ける選手がいるんですが、走りながら勢いがついてくるとものすごくスピードが出る。400メートルを48秒で走っていて。
テクニック次第でさらにタイムは縮むはずなので、今に健常者に迫る世界になると思います。ひょっとしたら2020年を待たずに、今年のパラリンピックでも「パラリンピアンがオリンピアンを上回った」というシーンが見られるかもしれません。
健常と障がいの違いは「限りなくあいまい」
為末:技術は進んでいますが、一方でパラリンピックの選手たちがストレスフリーで活躍するための環境づくりには課題があると思っています。ですからパラリンピアンに合わせた選手村づくりが重要になる。障がいを前提とした街づくりは、結果として高齢者にもやさしい街づくりにもつながっていくはずで、多様な人を受け入れられる社会を実現する早道になると思います。
一番大きいのは意識の変革で、パラリンピアンのヒーローが登場することで、「健常とか障がいって何だっけ」という問いが社会で共有されること。これが一番のポイントだと思います。
健常と障がいの違い、為末さんはどう考えますか。
為末:限りなくあいまいだと思っています。例えば、街で普通に歩いている人がいて、パンツの裾から義足が見えたら「あ、義足だ」と気付きますけれど、そうでなければ分かりませんよね。
義足一つとっても、高性能化が進むと日常動作が健常者とほとんど変わらなくなってくる。そういうことがだんだん増えると、メガネやコンタクトレンズの位置付けとほとんど変わらなくなる気がするんです。
モノが人間に入りこんで機能化する。「足りないから補っている」という存在になる。さらに言えば、モノの力によって人間の能力を拡張することだってできる。コンタクトレンズで裸眼よりも遠くが見えるようになるって、そういうことですよね。
すでに普通に起きているし、私たちが受け入れている現象ですね。
為末:そういうものが現実的に出てきた時、今の「健常」「障がい」の常識自体が非常に揺らぎます。
あるスタンダードがあって、そこから何かが欠損している、あるいははみ出ているという見方で議論されるのが、心身の障がいであったり、LGBTであったりすると思うんです。けれど、スタンダードの定義そのものが崩れるところまで来ているんじゃないでしょうか。国がサポートするための枠組みとして、「障がい」という言葉は残るかもしれませんが、人々の意識はかなり変わっていく気がします。
「健常」の定義が難しくなってきているということですね。
為末:はい。「男女」しかり、これまではハッキリ区別できることはいろいろと便利だったんでしょうけれど、それが難しくなってきているという現実はありますね。
自転車が走りやすい街づくりで満員電車を解消
逆に重視されていくのが多様性であり、多様性を前提とした社会に進化していくわけですね。“100%人類のまま”の人もいれば、一部サイボーグ化している人もいて、将来的にはアニメ「攻殻機動隊」のように、全身義体のサイボーグも生活者になっているかもしれない。そんな未来像でしょうか。
為末:そうです。僕はそういう社会の方が面白いと思うから、楽しみではありますね。
一部は既に始まっているんです。何かものごとを記録したり、整理したりする時、スマートフォンの機能を使って保存し、後から見て思い出す……というようなことを日常的にしますよね。それって、「記憶を外部に置く」というサイボーグ化と言えるんじゃないかと。もっと突き詰めると、「自分の範囲」はどこまで拡張できるのか、という議論にもなっていきますが。
MITメディアラボのヒュー・ハー教授のように、自分の身体の一部に先端テクノロジーを埋め込む技術も進んでいますね。
為末:僕は身体側の人間なので、“身体の進化”のような意味合いで面白いと思っています。ですから、パラリンピックの魅力はオリンピックとはまったく別物で、より“未来”を感じられるスポーツの祭典として楽しめると思います。
パラリンピック競技を発展させるための技術開発が、日常生活のバリアフリーにつながる可能性はものすごくあるんです。
例えば、車いすラグビーでは、通常の車いすの形状だと選手が転倒した途端に競技が止まってしまう。だから、転んでもすぐに起き上がれる球体型の車いすの開発が進められていたりします。あと、バスケットボールでスリーポイントシュートを打つための「跳ねる車いす」とか。「跳ねる車いす」ができたら、街中のちょっとした段差も問題なく越えられちゃうでしょう。
面白いですね。パラリンピックをきっかけに街のバリアフリー化を進めることは、ロンドン五輪から始まったのでしょうか。
為末:そうですね。実際にロンドンの街の風景がものすごく変わったということはないようですが、現地で聞いた話では「意識の変化」がやはり大きかったそうです。障がい者をサポートしようという雰囲気が浸透したり、新しい建物がバリアフリー設計になっていたり。要はオリンピック・パラリンピックを通じて都市づくりに関わる人たちの意識が変わるから、アウトプットに変化が生まれていくみたいです。
パラリンピアンを意識した都市設計は、どんな人にとってもストレスなく過ごせる都市づくりにつながるという点で重要ですね。東京はまだまだバリアフリー化が遅れている都市ですが、パラリンピアンのためにまずやるべきアプローチは何だと思いますか。
為末:いろいろあると思いますが、「満員電車に乗れない」という声はよく聞かれます。物理的に車いすが乗れるスペースがないですからね。満員電車を解消できるといいなと思いますね。
その方法の一つになるかもしれませんが、自転車が走りやすい街づくりは一つのテーマだと思います。街をスポーツ化することとバリアフリー化することは、実はそう遠くない話です。つまり道幅広く、デコボコしない街づくりという意味で。すぐに全エリアは無理でも、例えば江東区内だけとか、実験的にできるといいと思います。(後編に続く)
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