シドニーでメダルを逃した悔しさを胸に刻んだ挑戦者としての4年間は、ただただ前へ進む日々でした。2001年~2004年の日本選手権では4年連続で50m・100m・200m平泳ぎを全制覇。2003年の世界選手権では100m・200m平泳ぎを当時の世界記録で制しました。

 そうした記録からはすべてが順風満帆に見えますが、体力も技術も伸び盛りの北島が「もっとできる」と前のめりになりすぎて怪我をすることも度々ありました。最も険しい目標に向かって、ひたすらに努力を重ねる姿勢はもちろん責められるものではありませんが、その怪我によって本来の力を発揮できなくては困ります。そのたびにどうリカバリーするか、故障を起こさないように、しかしさらに高みを目指す練習をどのように重ねていったらいいのか。試行錯誤を繰り返しながらの4年間でした。

王者の挑戦、3人娘の挑戦

 そうしてアテネで2つの金メダルを手にした王者としての4年間は、次へのモチベーションを探りながら始まりました。2005年の世界選手権は200mの出場権を逃し、100mは銀メダルにとどまりました。当時の北島は技術的に世界のトップを極めていましたが、だからといって容易に勝てるわけではありません。

 頂点を極めた人間が、更なる高みを目指す。それは本当に厳しいことです。がむしゃらに前に進むのとはまた違い、炎を絶やさず燃やし続けるような取り組みが必要になります。

 体格に勝る世界のトップ選手たちと厳しい戦いを続ける中で酷使してきた身体と向き合いながら、常に勝利を求められるプレッシャーと向き合いながらの4年間。北島は見事に2大会連続2種目制覇を成し遂げますが、それは技術を高めただけでなく、人間的な成長、心の成長が確かな支えとなったものだと思います。

 続く北京からロンドンへは「3人娘」との4年間でした。小さな頃から指導してきた自由形の上田春佳、急速に力を伸ばしてきたバタフライの加藤ゆか、実力は誰もが認めながら世界で勝てなかった背泳ぎの寺川綾。個性も種目も状況も異なる3人を、さてどうやって高みに昇らせるか。全員がメダリストとなるまでの取り組みは『突破論』にまとめましたが、その時に学んだことで、その後の経験を重ねる中で確信を持ち、今も大事にしていることがあります。

 それが先述の「今、やるべき準備」です。

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