「若者・バカ者・よそ者」というキーワード

 話は変わるが、「これまでの常識を覆す」というコンセプトはむろん、日本経済の将来像を明るくする方向の前向きな文脈でも当てはめて考えることができる。

 筆者が最近読んだある本から知り、いつも頭の中で意識するようになったのは、「若者・バカ者・よそ者」というコンセプトである。

 厳寒・積雪のため冬に練習しにくいハンディキャップがある上、夏の猛暑にも選手が慣れておらず、夏の甲子園で優勝経験がなかった、北海道の高校野球。ところが、香田誉士史監督(当時)に率いられた駒大苫小牧高校は、2004年・2005年に夏の大会連覇を達成し、次の年も早稲田実業との延長15回引き分け再試合という激闘の末に敗れたものの、準優勝。夏3連覇にあと一歩まで迫った。このエピソードをテーマにした中村計氏のノンフィクション「勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇」を筆者が読んだ際、次の文章に目が止まった。

「新しい血」が必要だ

 「町おこしに必要なのは、若者と、バカ者と、よそ者の三者だとよく言われる。体力に自信があり、動ける若者。ともすれば非常識にも映るが、誰も思いつかないような発想をするバカ者。そして、まだその土地の価値観に染まっていない、客観的な目を持ったよそ者。香田は、その三役を一人でこなしていたのだと言える」

 町おこしには「若者・バカ者・よそ者」の3つが必要というのは、実に説得力のあるコンセプトであり、個別企業の活性化や、日本経済全体の先行きを明るくする方法にも直結するのではないかと、すぐに筆者は考えた。

 企業トップが活性化を志向する際に、「若者・バカ者・よそ者」の3要素はポジティブだろう。若い新入社員が入ってこなければ、会社組織内の雰囲気はどうしても沈滞しがちである。「新しい血」が入らないまま何年も経過していくと、社員の年齢構成のバランスが崩れて、将来的には業務運営上のさまざまな差し障りも出てきかねない。

「バカ者」の存在を許容できるかどうか

 「バカ者」の存在を許容するかどうかは、企業風土とも関係してくるため常にイエスではないだろうが、常識的でおとなしい人材だけを集めているようだと、斬新な発想は出てきにくい。そして、「よそ者」を取り込む(外部の人材を登用する)ことは、すでに述べた組織活性化の面でも、斬新な発想に基づく新たな展開を模索する上でも、有益な場合が少なくないだろう。

 また、人口減・少子高齢化による長期縮小の道筋をたどっている日本経済全体にとっても、この3要素に注目して必要な政策を展開することが、非常に重要だと考えられる。

 おカネとインフラ整備の両面において少子化対策を格段に強化して「若者」を増やすことは、将来の潜在成長力の引き上げに寄与するとともに、社会保障制度を含む財政バランスの改善に着実につながってくる。

 既存の枠組みにあまりとらわれずに新たな発想をすることのできる「バカ者」を増やすには、知識詰め込み優先の画一的な教育制度や「お受験」社会を見直し、個人の考える力や特性をできるだけ伸ばそうとする教育を行うことにより、行政がその前提となる条件を整備する必要があるだろう。

日本経済の「地盤沈下」を食い止めるために

 「人口が減っても日本経済は大丈夫」という立論をする人の多くは「生産性の向上」という、具体性に欠けた、漠然としたコンセプトに期待を寄せているようである。政策サイドがそうした考え方をすることの適否はともかく、「バカ者」の発想を必要に応じて取り入れた方が生産性は伸びやすいという点には、異論はおそらく出てこないだろう。

 そして、「よそ者」、すなわち観光客や技能労働実習のような一時的な滞在者だけでなく、長期滞在者(要するに移民)を含む海外からの人材の積極的な受け入れが、日本経済の「地盤沈下」を食い止めるためにどうしても必要不可欠だというのが、筆者の持論である。

「反グローバル化のうねり」の行方

 2017年は、米国のトランプ次期大統領の政策運営が実際にはどのようなものになるか、そしてトランプ氏当選が象徴する「反グローバル化のうねり」が欧州の一連の政治イベントにどこまで影響を及ぼすのかが、大きな注目点になる。

 そして日本では、人口減・少子高齢化というクライマックスのない慢性的な危機の進行に対し、政府あるいは個々の企業が、「若者・バカ者・よそ者」の活用も試みながらどのような対策あるいは生き残り策を展開していくのかが、隠れてはいるが重要な焦点になる。