9月26日、米ニューヨーク市内のホテルで記者会見するドナルド・トランプ大統領(写真=ユニフォトプレス)
「米中貿易戦争」がエスカレートしている。米国の貿易赤字(財・サービス、国際収支ベース)がこのところ拡大する中<図1>、トランプ政権は9月17日、中国に対する制裁関税第3弾を24日に発動することを明らかにし、実際に24日から何のためらいもなく発動した。
2000億ドル相当(5745品目)の中国からの輸入品が対象。11月下旬からのクリスマス商戦を控えているため、衣類や玩具など中国からの輸入が多い消費関連財の値上がりを抑制しようとする配慮から追加関税の税率はとりあえず10%になったが、19年1月からは25%に引き上げられる。
これに対し、中国商務省は9月18日、「中国は同時に反撃せざるを得ない」との報道官談話に続いて、600億ドル相当の米国からの輸入品を対象に報復関税を課すと発表した。米国と同じ24日の発動で、「殴り合い」の様相である。税率は対象品目によって2種類に分かれ、小型航空機・コンピューター・繊維製品など約1600品目には5%。化学製品・肉類・小麦・ワイン・LNG(液化天然ガス)など3500余りの品目には10%が追加で課される。
トランプ大統領は、24日発動の制裁関税に中国が報復した場合は中国からの残りすべての輸入品に25%の関税を課すと表明しており、この先も報復合戦が続きそうである。
日中で株価が上昇したことも支援材料に
ところが、こうした激しいやり取りを材料にして金融市場が動いた方向は、「株安・債券高」ではなく、「株高・債券安」だった。
9月18日の東京市場では日経平均株価が終値で2万3420.54円に急上昇。「天井」になっていた2万3千円ラインを上抜けたという見方が一気に広がった。同日の米国市場でも株価は上昇。ニューヨークダウ工業株30種平均(NYダウ)は2万6246.96ドルになった。1月29日以来の高値である。
日本や中国で株価が上昇したことが支援材料になったほか、米中の追加関税第3弾は「想定よりも税率が低めで、米中ともに交渉戦術の一環として発動すると受け止められた」「影響は経済全体に広がらない」といった見方が出ていたという(日経QUICKニュース)。
その後も日米株価は堅調で、NYダウは史上最高値を更新。日経平均株価は26日には2万4千円台に乗せた。日米の国債利回りは上昇した。
「米中貿易戦争」は世界経済に悪影響を及ぼす材料であるにもかかわらず、市場はなぜ、「リスクオフ」の「株安・債券高」ではなく、それとは正反対の方向に動いたのだろうか。筆者なりに整理すると、以下の理由が考えられる。
- 「米中貿易戦争」の激化という材料自体は、それによる実際の経済への影響などはともかく、すでに織り込み済みだという基本認識が市場にあること。
- 米国の制裁関税第3弾は年内の税率が10%にとどまり当面の自国経済への配慮がなされているほか、中国の報復措置は「及び腰」の印象があり(個別の米企業をターゲットにしたいわゆる「質的」な報復は含まれなかった上に、李克強首相の発言内容も総じて温和)、米国よりも立場が弱い中国側に、そう遠くない将来に妥協点を見出そうとする姿勢が見え隠れしていること。
- 関税引き上げによる輸入品の値上がり圧力に対して、ドル高による輸入価格の下落圧力がカウンターで効いてくること(8月の米輸入物価指数は前月比▲0.6%で、2カ月連続の下落である)。
- 関税引き上げで消費財に値上がり圧力が加わっても、米国の個人消費が大きく崩れない方向に作用する要因が複数見出されること(「トランプ減税」の一環である所得減税、株高による資産効果、クリスマス商戦の値引きなど企業のマージン圧縮による対応)。
上記の諸点を踏まえつつ、金融市場関係者はこの先も情勢見極めを図ることになる。
貿易戦争は「株安・債券高」の材料
けれども、貿易戦争は世界経済全体にとっては明らかにネガティブであり、根本的には「株安・債券高」の材料だという基本線には変わりがないと、筆者はみている。このところの株高はリスク要因を軽視しすぎている感が否めない。米国の金融政策など他の材料がどうなるかにもよるが、米国株がまとまった幅で下落する場面がいずれやってくるだろう。
そうした中、トランプ大統領が通商問題で次に「ケンカ相手」にするのは日本ではないか、日本製自動車に追加関税を課すぞと脅しをかけつつ、農産物を含む一層の市場開放を含む2国間の自由貿易協定(FTA)の締結を日本に対して強く迫ってくるのではないかという見方が、夏から秋にかけて市場で徐々に広がった。
トランプ大統領は9月7日、大統領専用機内で記者団に対し、米国との貿易協議で「(新しい)合意に達しなければ日本は大変な問題になると認識している」と発言。「日本との貿易協議に本腰を入れてこなかった唯一の理由は中国と協議していたことだ」としつつ、オバマ前政権下で日本が米国との貿易交渉に応じなかった理由は「日本は何も報復がないと思っていたからだ」と述べて、何らかの報復措置を「レバレッジ」(交渉を進めるためのテコ)にしながら日本に合意を迫るつもりであることを示唆した。
米国はNAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉をメキシコ・カナダと進める中で、順調に協議が進んできたメキシコとの間では「為替条項」の導入で合意した。
これより前、韓国と結んでいる米韓FTAの見直しでは、「為替条項」をFTA本体ではなく付帯条項として強制力を持たせずに導入することで大筋合意したと、3月27日に米政府が発表した。
こうした流れを振り返ると、米国が日本と交渉する場合にも「為替条項」がテーマになる可能性がある。米国の自動車業界では以前から円の対ドル相場水準について不満がくすぶっていることも、陰に陽に影響してくるだろう。
仮に、日本が米国と2国間協定を結び、それに「為替条項」が含まれる(ないし付随する)場合には、潜在的に大きな円高材料になる。為替相場が円高ドル安方向に大きく動いた場合でも、日本による競争的な通貨切り下げではないかという疑義を米国側が抱きかねない円高阻止策、たとえば具体的には、金額の大きい円売り介入、日銀による追加緩和、何らかの資本規制を発動するのが、米国との関係上、現実問題としてきわめて困難になると、市場は考えるからである。
日米貿易摩擦が激化しかねない厳しい情勢に直面しつつある日本政府内では一時、トランプ大統領と安倍首相の個人的な信頼関係に期待し、訪米時に時間を作って一緒にゴルフをするなどして大統領の姿勢軟化を引き出せないかという「構想」が浮上していたという。
トランプ大統領の日本車嫌いは筋金入り
だが、そうした考えは甘すぎる。トランプ大統領の「日本車嫌い」はいわば筋金入りであり、個人的な信頼関係の有無とは切り離して交渉を進める可能性が高いだろう。実は15年6月の大統領選出馬表明時にも、トランプ氏は『日本車叩き』のトークを発していた。その後も日本車に厳しい発言が飛び出したことがある。
「なんでもいい、我々が何かで日本を打ち負かしたことがあるか? 日本は何百万台もの車をアメリカに輸出している。一方、我々は? 東京でシボレーが走っているのを最後に見たのはいつだ? みんな聞け、そんな光景は存在しないのだ。日本人にはやられっぱなしだ」(15年6月16日 トランプタワーで共和党大統領候補指名争いへの出馬を表明した際の発言)
「米国(の自動車メーカー)は日本国内で車を販売できないのに、日本は米国に何十万台の車を輸出している」「この問題については協議しなければならない」(17年1月23日 企業経営者らをホワイトハウスに招いた朝食会での発言)
そして、9月20日の自民党総裁選で安倍首相が勝利して3年間の任期を手にし、国内の政治状況に一区切りついた後、政府は米国との貿易問題で「現実路線」に切り替えた。
日本経済新聞は22日朝刊の1面トップで「対米関税協議を視野 政府、車への発動回避狙う 農産品はTPP水準維持」と報じた。「政府は米国との2国間の関税協議を視野に入れ始めた。トランプ米大統領は日本に貿易赤字の削減を繰り返し要求、2国間の関税協議を迫っているためだ。日本側はこれ以上の時間稼ぎは同盟関係にも影響しかねないとの判断に傾いた。2国間の関税協議を受け入れたほうが自動車の追加関税を回避しやすくなるとの読みもある」という。
本文中で筆者が注目したのは、「首相の答弁との整合性から政府は日米FTAの体裁は取れない。米国を環太平洋経済連携協定(TPP)に引き戻すための関税協議という位置付けになる方向だ」という部分。文章の上で安倍首相のメンツが立つ形になる落としどころを探る。そうしたテクニックに官僚はたけている。
国連総会出席のため訪米した安倍晋三首相は、26日にトランプ米大統領と会談。TPPを重視してきた従来の日本政府の姿勢を事実上転換し、日米2国間の物品の貿易を自由化する「物品貿易協定(TAG)」締結に向けて新たな関税交渉を始めることで合意した。
首脳会談終了後に出された共同声明には「日米両国は協議が行われている間、共同声明の精神に反する行動をとらない」と書かれており、安倍首相は「追加関税が課されることはないということを(トランプ大統領に)確認した」と述べた。
韓国は為替条項で合意したのか?
だが、トランプ大統領の政策運営姿勢には、不確実性が常につきまとう。米国の強硬な要求を日本側が受け入れることができず、交渉が事実上物別れになる場合は、日本車への追加関税が一気に現実味を帯びるのではないか。
経済政策運営にタガがはめられかねない「為替条項」は、日本政府としては絶対拒否の姿勢だろう。仮に、そうした類の条項を対米関係上受け入れざるを得なくなる場合でも、付帯文書に努力義務的な文章を入れるにとどめるとか、日本に有利な解釈もできる玉虫色の内容にするといったことを、事務方は当然考えるはずである。
ちなみに、「為替条項」で合意したとする米国の主張を韓国は受け入れておらず、9月24日に米韓首脳が改定FTAに署名した後も「為替に関する新たな合意はない」と主張している。米国が主張する合意内容を記した文書は公表されておらず(9月27日 日本経済新聞)、真相はやぶの中である。
この記事はシリーズ「上野泰也のエコノミック・ソナー」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?