日銀の異次元緩和はまさに「エンドレス」の様相(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)
日銀は7月30、31日に開催した金融政策決定会合で、何を決めたのか。市場金利は上がるのか、下がるのか、それとも動きが激しくなるだけなのか。ふだん金融市場に接していない人々のほとんどは、マスコミ報道などに接しても「よくわからない」というのが、正直な感想ではないだろうか。市場のプロの世界でも、見方にはけっこうばらつきがある。
それもそのはず。日銀はこの会合で、アベノミクス景気にとってダメージが大きい急激な円高進行を回避するため「金融緩和を強化する」という体裁をとりつつも、実際には、現在行っている実験的で大規模な金融緩和が今後さらに長期化することへの備えやそれに伴う副作用の軽減という名目で、市場で金利が上昇する余地をこれまでよりも拡大することを画策した。正反対のことをひとつの政策パッケージに盛り込んだわけで、メリハリが利かない、わかりにくい政策決定になるのはもともと避けられなかったと言える。
日銀がアナウンスした柱は4本
7月31日の昼頃のディーリングルームは、日銀会合が終了して決定内容がホームページで公表されるのを、久しぶりに緊張感を持って、かたずを飲んで待ち続けた。時事通信をはじめとするマスコミ各社の事前の観測報道から、2018~20年度の消費者物価見通しの引き下げ(金融緩和のさらなる長期化はやむなしということ)、それに伴う銀行収益への累積的な悪影響や債券市場の流動性低下・株式市場のゆがみといった副作用を軽減するための策を日銀が決めるだろうという見方が、市場の内外で強まっていたからである。
筆者の場合も、いつ会合が終わるか分からず、終わった瞬間から決定内容を分析評価するレポートの執筆にとりかかる必要があるので、ほかの仕事に手をつけるわけにもいかず、ひたすら画面をにらんで待ち続けた。
通常よりも長く、13時すぎまで時間をかけた議論の末、日銀は「強力な金融緩和継続のための枠組み強化」を決定したことをアナウンスした。柱は以下の4点である。
①政策金利のフォワードガイダンス(先行きの政策運営についての約束)を導入
具体的には、「日本銀行は、2019年10月に予定されている消費税率引き上げの影響を含めた経済・物価の不確実性を踏まえ、当分の間、現在のきわめて低い長短金利の水準を維持することを想定している」とされた。
②長期国債買い入れの弾力的な運用
長期金利(10年物国債金利)のターゲットは「ゼロ%程度」で据え置きつつ、「金利は、経済・物価情勢等に応じて上下にある程度変動しうるものとし、買入れ額については、保有残高の増加額年間約80兆円をめどとしつつ、弾力的な買入れを実施する」とされた。公表文には全く書かれていなかったが、10年物金利の変動幅を従来の「倍程度」にすることで大まかな合意が成立し、黒田東彦総裁がアナウンスした(後述)。なお、「金利が急速に上昇する場合には、迅速かつ適切に国債買入れを実施する」との脚注が付され、日銀が長期金利急上昇を放置するわけではないことが明示された。
③マイナス金利がチャージされる日銀当座預金残高の減額
日銀当座預金残高の三層構造<図1>のうち、真ん中にある「マクロ加算残高」(ゼロ金利が適用されるため日銀からの支払いも日銀への支払いも発生しない)の基準比率引き上げ(30.5%→33.0%)によって、「政策金利残高」(▲0.1%が適用される)を現在の水準(平均して10兆円程度)から減少させる。銀行収益への配慮という位置付けになる。
■図1:三層構造になっている日銀当座預金(月次・平均残高)
(出所)日銀
ただし、日銀が発表している業態別の日銀当座預金残高の7月分によると、この月にマイナス金利をチャージされて日銀に支払っていたのは、「その他準備預金制度適用先」に分類される銀行と、信託銀行がほとんど。都市銀行のマイナス金利適用残高はゼロで、地方銀行・第二地方銀行はきわめて少額である。したがって、今回の措置は幅広い業態の銀行にメリットがあるわけではない。
④ETF(上場投資信託)の銘柄別買い入れ額の見直し
「年間約6兆円」という買い入れペースは不変だが、TOPIX(東証株価指数)に連動するETFの買い入れ額を増やして(銘柄数が少ない日経平均株価に連動するETFの買い入れ額は結果的に減少)、株価形成におけるゆがみの軽減を狙った。
また、「資産価格のプレミアムへの働きかけを適切に行う観点から、市場の状況に応じて、買入れ額は上下に変動し得るものとする」とされ、カレンダーの区切り目での買い入れ実績の数字をにらんだ硬直的・義務的なETF買い入れを行うわけではない(株価の騰落に応じてETF買い入れにメリハリをつける)ことがアナウンスされた。
以上の内容を踏まえつつ、日銀が7月の会合で決定した内容についての追加的な解説を、Q&A方式をとりながら4つのテーマについて行いたい。
- (Q1)日銀による決定内容の受け止めには国内と海外で「温度差」があるようだが。
- (A1)国内では、直前に観測報道が重なったことに加え、金融機関の「悲鳴」が身近な話であることから、「長期金利の上昇容認」が真の狙いという受け止めが主流である。
一方、欧米では、フォワードガイダンスによる「当分の間」の利上げ封印に関心が集まった。8月1日の英経済紙フィナンシャルタイムズの記事の見出し「『非常に低い』金利にこだわることで日銀は中央銀行のトレンドに従わず(BoJ bucks central bank trend to stick with ‘extremely low’ rates)」が、象徴的である。
為替が円高に動くのを回避か
日銀は、対外公表文の最初にフォワードガイダンスを置くことにより、今回の決定内容を材料にして為替が円高に動くのを回避しようとしたと推測される。為替市場でシェアが上昇しているとされるアルゴリズム取引を意識して政策パッケージのタイトル(英文では“Strengthening the Framework for Continuous Powerful Monetary Easing”)を工夫したのではないかという説もある。日銀内部からも「アルゴリズムの機械的な反応で円高・ドル安に振れないよう、表現を工夫したとしても不思議ではない」との声が漏れるという(8月5日 日経ヴェリタス)。
- (Q2)今回決定された政策金利のフォワードガイダンスは、19年10月の消費税率引き上げを不確実性の例として示しつつも、カレンダー型(ある四半期や月まで政策金利を変更しないといった、カレンダーの上で時期を特定しているタイプのガイダンス)にはなっていないが。
- (A2)黒田総裁は記者会見で、「リスクのかなりの部分は海外の話で、これはどうなるか全く分からない点です」「当面、日本経済に内在する不確実性の例として、2019年10月の消費税率引上げの影響を例示的に示すことによって、どういった不確実性を考えているかを示しているわけです」と述べた。消費増税は「例示」という扱いである。
けれども、政治的には(自民党総裁選終了後の延期アナウンス説を筆者はとっているが、仮に予定通りに実行されるならば)、財政を引き締めるわけであり、非常に重要なマターである。財政を緊縮する場合、通常のポリシーミックスは金融政策の緩和強化である。日銀が利上げ(長短の金利ターゲット引き上げ)に動くつもりは全くありませんという姿勢を政府・与党サイドにアピールしておく狙いも、為替の円高の回避に加えて、今回のガイダンスに込められているのではないかと、筆者は推測している。
また、カレンダー型にしなかったことで、先行き追加緩和の必要性が生じた場合、ガイダンスを強化してカレンダー型にするという(小さな)カードを1つ手にしたとも言える。
- (Q3)日銀金融市場局は、長期金利が急上昇していた8月2日午後に、予定になかった長期国債買い入れ4000億円を実施して市場を落ち着かせた。アグレッシブに国債イールドカーブをスティープ化させようとする(長期・超長期ゾーンの金利上昇を通じて利回り曲線の右肩上がりの傾斜をきつくする)姿勢が、日銀には見えていないが。
- (A3)雨宮正佳日銀副総裁は8月2日の講演で、日銀が対応する必要のある問題を「信認確保」「持続性強化」の2つに集約した上で、「経済・物価の見方などを反映して長期金利がある程度変動することを許容し、市場機能を維持することが必要と判断しました」「ただし、長期金利の操作目標は『ゼロ%程度』から変えていません。金利が急速に上昇する場合には、迅速かつ適切に国債買入れを実施する方針であり、金利水準が切り上がっていくことを想定しているものではありません」と明言した。
日銀政策委員会にリフレ派が3人いる中での妥協の産物ではあろうが、上記が日銀のスタンスであり、能動的に長期・超長期ゾーンの金利を持ち上げようとする意図はないと解される。
- (Q4)金融政策決定会合終了後の対外公表文には具体的な記述がなかったにもかかわらず、黒田総裁の記者会見で10年債金利の変動許容幅を従来の倍程度に拡大するとのアナウンスが行われた。日銀の組織運営・権限分担上、どうなっているのか。
- (A4)雨宮日銀副総裁が8月2日に京都で行った記者会見の席上、以下の発言があった。
「政策決定会合で議論して、政策委員会で、『上下にある程度変動し得るものとする』というところまでを決定文として決定しようということで合意したということです。それに対し、具体的にどの程度がこの変動幅、『上下にある程度変動し得る』幅かということについては、多少委員の間でも微妙な感覚の違いはあるわけですが、その中で、これまでの『イールドカーブ・コントロール』導入後の変動幅であった±0.1%の倍程度ということは概ね合意され、総裁が『それは記者会見で説明しましょう』というところまで合意して、総裁が言及したということです。この範囲そのものが、執行部の判断で変わるということはありません」
こうした運営は、非常にグレーだと言わざるを得ない。
「上下にある程度」変動するというところまでは決定会合で決めて、あとは金融市場局に「丸投げ」するのは、授権する範囲が大きすぎる感がある。すなわち、政策金利変更の幅と同じくらいの市場金利変動を、執行部の現場部局の裁量に委ねることには、疑問が生じる。
しかしながら、決定会合で長期金利の変動許容幅を数字で決めた上で公表文に落とし込むと、為替市場が事実上の金利引き上げだとみなして、円高に動くリスクがどうしても警戒される。
そこで、「±0.1%の倍程度」だという合意を決定会合で取り付けた上で、金融市場局に指示する形をとったものの、公表文には明記せず、後ほど総裁会見で口頭で説明する扱いにしたのだろう。決定会合で多数の合意が得られた事項ならば、公表文に明記するのが、フェアではあるまいか。
異次元緩和はエンドレス
日銀の金融政策は、「非対称性のわな」とでも呼べそうな状況に陥ってしまった感がある。日本の童謡にある「行きはよいよい、帰りは恐い」という表現も当てはまる。
金融緩和の強化は、円滑に進めることができる。緩和の効果により円安・株高が進めば、日本経済にカンフル剤が打たれるわけで、政治サイドからも、反対論はまず出てこない。
だが、金融緩和の除去(=金融引き締め)は、難渋すること必定である。それによって市場が円高・株安に動く可能性が高いわけで、政治サイドから反対論が出やすい。景気・物価への下押し圧力の大小、財政政策とのポリシーミックスにも目配りする必要がある。
そうした「非対称性」について事前に十分に考えを巡らせることなく、あるいは「短期決戦」に失敗した場合のプランを事前にしっかり用意することなく、黒田日銀はバズーカを撃ってしまい、その後に追加緩和も実行した。中長期的な戦略を欠いた、どうにも悲しい戦いぶりだと言わざるを得ない。日銀の異次元緩和はまさに「エンドレス」の様相である。
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