1967年6月5日に始まったイスラエルとアラブ諸国の戦争「第3次中東戦争」は、イスラエルが6日間で勝利した。イスラエルはヨルダンが統治していた東エルサレムとヨルダン川西岸、ガザ地区などを占領した。
 その後の紆余曲折を経て、ヨルダン川西岸地区にあるベツレヘムは1995年以降、パレスチナ自治政府が治めているが、イスラエルが建設した高い壁に取り囲まれ、約10キロメートルほどしか離れていないにもかかわらずエルサレムとの経済格差は大きい。筆者は会社の夏休みを利用して、エルサレムとベツレヘムを今回訪れた。

ベツレヘムで乗ったタクシー運転手が力説したこと

イスラエルとパレスチナ自治区
オレンジ色の部分がパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区とガザ地区)。ただし、ガザ地区は、イスラム原理主義組織のハマスが実効支配している。

 「問題は宗教じゃないんだ。この街ではムスリム(イスラム教徒)とそれ以外が半々だけど、みな仲良く暮らしているよ。悪いのは政治だ。外国の人にはそれを理解してほしい」。

 夏休みを利用して8月18日に訪れたパレスチナ自治区のベツレヘムで乗ったタクシーの運転手アリ氏は、このことを何度も筆者に力説してきた。

 ナチスドイツによる迫害・ホロコーストを生き延びたユダヤ人たちが1948年に建国したイスラエルと、すでに何百年も前からそこに住んでいたパレスチナ人の対立を、ユダヤ教とイスラム教の根深い宗教対立をベースにして、われわれはとらえがちである。しかし、最大の問題は実は政治なのだということが、現地で状況を見聞きするとよくわかる。

エルサレムとベツレヘムの間の経済格差

 特に問題なのは、イスラエルのヨルダン川西岸などへの入植政策・パレスチナ人分離政策である(分離壁については後述)。地理的にはすぐ近くであるにもかかわらず、エルサレム(特に新市街)とベツレヘムの経済格差のあまりの大きさは、覆い隠しようがない。

写真1
地方政府庁舎の廊下にかかっていた、ファタハの故アラファト初代議長(パレスチナ解放機構議長)の肖像画。(写真=筆者撮影、以下同)

 さらに、パレスチナ側では内部の政治対立が激しくなっている。筆者が今回訪れたヨルダン川西岸地区は、パレスチナ自治政府のアッバース議長(大統領)が率いるファタハが支配している。アッバース氏の前任者は、イスラエルとの共存を前提に中東和平に尽力してノーベル平和賞を受賞した故アラファト議長である。ベツレヘムでたまたま足を踏み入れた地方政府庁舎の廊下には、彼の肖像画がかかっていた<写真1>。

 タクシーのアリ氏も彼を尊敬しているとのことで、車内に写真が飾られていた。一方、シナイ半島の北東部にある小さい飛び地のガザ地区は、イスラム原理主義組織のハマスが実効支配している。イスラエルがガザ地区との境界を封鎖しており、ガザ地区は「天井のない監獄」と呼ばれているという。さらに、一般家庭では1日に3時間しか電気を使えないなど、同地区は過去最悪の電力不足に見舞われている。自治政府のアッバース議長は4月以降、ガザ地区の発電所向け燃料に課税したり、イスラエルからガザへ送られる電力の料金支払いを削減したりして、ハマスに圧力をかけている(8月16日 時事)。

 今回の個人旅行で筆者がたどったコースは、アエロフロートに乗り、モスクワ経由でイスラエル・テルアビブに同日深夜着。1泊してからエゲッド・バスという高速バスでエルサレム入りというものである。エルサレムでは、イスラエルが1967年の第3次中東戦争で占領して併合した東エルサレムにある、城壁と門に囲まれた旧市街の中級ホテルに宿泊した。ダマスカス門の近くで、このあたりはイスラエルが占領する前はヨルダンが統治していたため、宿のスタッフや宿泊客を含めてアラブ系の人がほとんどである。ユダヤ人が多数派で街並みがヨーロッパ並みに近代的な新市街とは、全く別の国の様相を呈している。