日銀は7月末に開催した金融政策決定会合で追加緩和を決定した。2%の物価安定目標達成のメドが立たない中、日銀が限られた追加緩和カードを切るという構図が継続された。9月の次回会合で行われることになった「総括的な検証」によって、日銀の金融政策は変化するだろうか?
7月29日、追加緩和決定後に記者会見する日銀の黒田総裁。黒田総裁は、9月の金融政策決定会合でこれまでの金融緩和政策を総括的に検証すると発言したが…(写真:ロイター/アフロ)
日銀は7月28、29日に開催した金融政策決定会合で、追加緩和を決定した。
今回追加緩和を行った理由について、日銀は対外公表文で、「英国のEU(欧州連合)離脱問題や新興国経済の減速を背景に、海外経済の不透明感が高まり、国際金融市場では不安定な動きが続いている。こうした不確実性が企業や家計のコンフィデンスの悪化につながることを防止するとともに、わが国企業および金融機関の外貨資金調達環境の安定に万全を期し、前向きな経済活動をサポートする観点から」だとアナウンスした。
追加緩和策の内容は、以下のものである。
(1)ETF(上場投資信託)買入れ額の増額(保有残高の増加ペースを現行の年間約3.3兆円から約6兆円にほぼ倍増)
(2)企業・金融機関の外貨資金調達環境の安定のための措置
①成長支援資金供給・米ドル特則の拡大(総枠を現行の120億ドルから240億ドルに倍増)
②米ドル資金供給オペの担保となる国債の貸付け制度の新設
「2%達成」のさらなる先送りに布石
決定内容に関する対外公表文と同時に、最新の「経済・物価情勢の展望」(展望レポート)の基本的見解が公表された。4月の前回レポートで「2017年度中」に先送りされた「物価安定の目標」2%達成時期は、今回は変更されなかったが、その不確実性が強調された。日銀がこの見通しに自信を持てなくなってきたということであり、さらなる先送りに布石を打ったと言える。
対外公表文はさらに、政府の経済対策策定方針に言及した上で、今回の追加緩和を含めた日銀の対応によって「きわめて緩和的な金融環境を整えていくことは、こうした政府の取り組みと相乗的な効果を発揮するものと考えている」とした。政府との協調姿勢をアピールした形である。
ただし、日銀による恒久的な財政ファイナンスである「ヘリコプターマネー」に事実上動いているという見方が市場の内外で強まるのを避けたかったためか、今回の追加緩和メニューには長期国債買い入れ額の上積みは含まれなかった。
ジレンマに直面していた日銀
日銀はジレンマに直面する中で結局「政府との間合い」を優先したものの、個別の緩和手法にそれぞれ難題があることから、結果的に緩和メニューは「小粒」になったものと、筆者は受け止めている。
今回の会合の直前、追加緩和に「動くべき」か「動くべきでない」かで、日銀は大きなジレンマに直面していた。その構図の主な部分を筆者なりに整理すると、以下のようになる。
【日銀が追加緩和に動くべき理由(筆者の推察)】
①物価シナリオへの明確な下押し圧力に対応して、日銀として「やる気」をはっきり示す必要がある。
②政府との「間合い」。経済対策とタイアップして「アベノミクス再起動」に日銀も寄与する。
③市場で追加緩和観測が強いため、現状維持とした場合には円高・株安が加速する恐れがある。
【日銀が追加緩和に動くべきでない理由(筆者の推察)】
①イングランド銀行(BOE)などが金融政策の現状維持を決め、追加緩和にはまだ動いていないにもかかわらず、日銀が率先して動くと、米欧から「通貨安誘導」だとの批判を浴びる恐れがある。
②1月の追加緩和(マイナス金利導入決定)から半年という短いインターバルでまた動くと、追加緩和「催促相場」に日銀が頻繁に直面する「戦力の逐次投入ゲーム」に陥りやすくなる。
③追加緩和の手段それぞれに難題がある。すなわち、長期国債買い入れ額を上積みすれば市場で国債が枯渇して「札割れ」(入札オファー額に応札額が満たないこと)が発生する時期が手前に引き寄せられる。ETF買い入れ額の上積みは、株価下落を主因に多額の損失を計上したGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の15年度運用実績の発表と同日ということもあり、日銀による「PKO(プライス・キーピング・オペレーション」ではないかと受け取られかねない。マイナス金利の深掘り(マイナス幅の拡大)については民間銀行に強い反対論があるほか、消費マインドをさらに冷やす恐れがある。
④為替市場では、日銀が動いても動かなくても結局は円高ドル安に動くという見方が多く、数少ない追加緩和カードをここで切っても為替への影響では「無駄撃ち」に終わる恐れがある(結果的にこの見方は的中した。米国の景気指標が予想比下振れたこともあり、7月29日のニューヨーク市場でドル/円相場は一時101円台になった)。
安倍晋三首相は参院選終了をうけて7月11日に自民党本部で記者会見した中で、「アベノミクスを一層加速せよと、国民から力強い信任を頂いた」「デフレからの脱出速度を最大限引き上げていかなければならない」と述べた。今振り返って考えてみると、これは「物価の番人」である日銀に対し、2%の物価目標実現に向けて一層の努力(=追加緩和)を促したメッセージに他ならなかった。
結局、今回は小粒の追加緩和を選択
そして日銀は、通常よりも長時間にわたる議論の末に、政府から強い反発を受けやすい現状維持ではないが「3次元」の追加緩和でもない、折衷的な「小粒」の追加緩和を選択したと言えるだろう。
さて、日銀ウォッチャーの当面の最大の関心事は、9月の次回会合で行われることになった「総括的な検証」がどのような内容になるかである。対外公表文には最後のところに、次の文章が含まれていた。
9月の「総括的な検証」で、部分的修正はありうる
「なお、本日公表した『経済・物価情勢の展望』(展望レポート)で示した通り、海外経済・国際金融市場を巡る不透明感などを背景に、物価見通しに関する不確実性が高まっている。こうした状況を踏まえ、2%の『物価安定の目標』をできるだけ早期に実現する観点から、次回の金融政策決定会合において、『量的・質的金融緩和』・『マイナス金利付き量的・質的金融緩和』のもとでの経済・物価動向や政策効果について総括的な検証を行うこととし、議長はその準備を執行部に指示した」
筆者の見方を端的に言えば、検証の準備作業を行う日銀執行部は黒田総裁の部下であり、検証を行う政策委員会メンバーについては民間エコノミスト出身の2人を除く7人を「黒田派」とみなすことができる。したがって、異次元緩和の効果については当然、実質金利の低下を通じて景気や物価にポジティブな効果を及ぼしてきたという、肯定的な結論が下されるだろう。
ただし、この検証を機会に金融緩和の枠組みの部分的な修正や、どのような追加緩和の選択肢が残されているのかが議論される可能性、その場で追加緩和が決まる可能性なども、もちろんある。
「2年」とは日銀の「気合い」の表現
どのような内容になりそうか、マスコミの間で報道合戦が今後行われるとみられるが、日本経済新聞がまず7月30日の朝刊で、日銀は9月の検証で以下のような方針をとると報じた。
■「『2年程度で2%上昇を実現する』という物価目標の達成時期を取り下げる方針だ。できるだけ早く2%上昇を達成するという姿勢は変えないが、時期を曖昧にすることで政策判断が過度に縛られないようにする」
■「日銀内では2年目標を堅持しているために決定会合のたびに市場で緩和期待が過熱し、相場が不安定になるとの指摘がある。原油急落などの特別な事情で物価上昇が鈍った場合に、柔軟な対応が取れないとの声も出ている」
■「2年に代わる新たな数字は置かない方針だ。デフレ脱却への取り組みが弱まったと受け止められないように、できるだけ早期に物価2%を実現するとの姿勢を繰り返し強調していく方向だ」
日本経済新聞 2016年7月30日付記事 「
日銀が追加緩和『経済対策と相乗効果』」から
異次元緩和を日銀が2013年4月に開始してから、すでに3年以上が経過している。「2年」で物価を2%にするという公約を日銀は達成できなかった。このため、「2年」という言い回しは日銀としての「気合い」をシンボリックに示すことのほか、その意義をすでに失っているということができる。
なお、上記の日本経済新聞の観測記事は、黒田東彦総裁が7月29日の記者会見で述べた以下の囲みの部分の発言がヒントになったのではないかと筆者はみている。総裁は「できるだけ早期に実現する」という方針は変わらないとしたが、「念頭に置いている2年程度という期間」を撤回しないとは言わなかった。
黒田総裁の7月29日の会見での発言
■「ご案内の通り、日本銀行は2013年4月の量的・質的金融緩和導入以来、一貫して2%の物価安定の目標をできるだけ早期に実現するということに今コミットをしております。量的・質的金融緩和の導入に当たっては、できるだけ早期にという際に念頭に置いている期間として2年程度という期間を示したわけであります」
■「量的・質的金融緩和の導入後、既に3年以上が経過していることは事実でありますけれども、2%の物価安定の目標をできるだけ早期に実現するという方針に変化はありませんし、今後もこれを変更する考えはありません」
黒田総裁の発言を吟味する
黒田総裁の記者会見での発言内容から、「総括的な検証」の内容に関連する他の部分もいくつか引用しておきたい。どのような内容になるのかのヒントが提供されているからである。発言の引用は時事通信の詳報による。( )内は筆者の解釈である。
■【黒田総裁の発言】「マイナス金利にしても量的緩和の拡大にしても限界に来ているとは全く思っておりません」
(【筆者の解釈】→ マイナス金利政策の撤回や長期国債買い入れの「打ち止め宣言」はなさそうだ)
■【黒田総裁の発言】「量的・質的金融緩和を導入して3年強、そしてマイナス金利を導入して以来半年、1月に決定して実際に適用されたのは3月からですから、半年ぐらいというところで、総括的な検証を政策委員会において行おうということであります」
■「例えば今年の1月にマイナス金利を導入して(中略)、イールドカーブ(利回り曲線)は非常にフラット(平坦)になっていると。それが金融機関の収益状況にどのような影響が出るのかとか、そういったことも含めて当然、総括的な検証を行うと思います(後略)」
(【筆者の解釈】→ マイナス金利に限定した効果・弊害・副作用の検証も行われる可能性が高い)
■【黒田総裁の発言】「量、質、金利と申しますが、特に量、質の方はずっとこの3年強やってきたわけですし、金利の方は今年から始まったわけですけれども、量の面も非常に重要であるということはよく認識をされております。そういう意味で、何か量を軽視するとか、そういうことになるとは思っておりません」
(【筆者の解釈】→ 「量」すなわち長期国債買い入れを柱とするマネタリーベース目標は撤回されそうにない。仮にあるとしてもテクニカルな修正までか)
■【黒田総裁の発言】「特に石油価格の大幅な下落等を受けて、2014年10月には量的・質的金融緩和を拡大したわけです。それによって予想物価上昇率がどんどん下落していくというのはある程度抑えられたとは思うんですけれども、ご承知のようにその後も石油価格の下落は続き、それから最近で言いますと、昨年来の中国を含む新興国の経済成長に関する不透明感とか、そういうこともあったり、いろんなファクターが重なっているとは思うんですけれども(中略)、特に石油価格の大幅な下落というのはなかなか予想できなかったことでありまして(後略)」
(【筆者の解釈】→ 日経新聞の報道にもある通り、2年で2%を実現できなかった主因として、原油価格の下落があらためて指摘される可能性が非常に高い)
■【黒田総裁の発言】「まだ総括的検証をする前ですので、特定の方向性を言うのは適切でないと思いますけども、ご指摘のようなことで2%がまだ実現されていないわけですから、2%をできるだけ早期に実現するために何が必要かという観点から、当然、総括的な検証を行い、その検証結果に応じて必要ならば必要な措置を取るということに尽きると思います」
(【筆者の解釈】→ 議論の行方、および会合時点の情勢次第で、検証の結果発表と同時に追加緩和が決定される可能性もある。ただし、仮にそうする場合は、「戦力の逐次投入ゲーム」に日銀が陥る恐れがますます高まるということでもある)
■【黒田総裁の発言】「2%の物価安定目標をできるだけ早期に実現するということは、日本銀行としての2013年1月以来、政府との共同声明以来、維持してきているコミットメントでありまして、これを変えるつもりは全くありません」
(【筆者の解釈】→ 物価安定の目標である「2%」は、政府との合意事項でもあるため、変更されない可能性がきわめて高い)
■【黒田総裁の発言】「その上で、この総括的な検証というのは、(中略)状況をよく分析・検証して、2%の物価安定の目標をできるだけ早期に達成するために何が必要か、何がなされるべきかということを虚心坦懐に検証していこうということであります」
(【筆者の解釈】→ 検証する主体が第3者委員会ではないことからすれば、「虚心坦懐に検証する」とは言っても、結論の大枠が「お手盛り」的なものになることは見えているように思われる)
9月の「総括的な検証」は、あまりにも硬直化し、「ぶれたら負け」という考えにとらわれている日銀の、金融政策運営やメッセージ発信を修正する一つの機会にはなり得るだろう。
だが、国政選挙で勝利した首相官邸からの日銀に対する「にらみ」が強く効いた状態であることに変わりはない。黒田総裁自身が全否定した通り、「物価安定の目標」である2%という数字は動かしようがない。
「トーンダウン」したと受け取られるのはまずい
また、検証の結果、日銀の政策運営(追加緩和)姿勢が大幅にトーンダウンしたと市場に受け取られる場合には、円高・株安が急進行してしまい、その「火消し」のために追加緩和カードを切るという、いわゆる「マッチポンプ」状態になるリスクが意識される。
債券相場が大きく下落する(長期金利が急上昇する)ケースも同様である。「実質金利の低下」こそが異次元緩和の効果の主柱だとしている日銀が、名目金利の急上昇を促したり、放置したりするとは考え難い。
したがって、9月の「総括的な検証」では、金融緩和の枠組み修正があるとしても部分的・テクニカルなものにとどまり、市場の反応を気にしながらの慎重なメッセージ発信になる可能性が高いと、筆者はみている。
「再加速」の動きに対し、市場参加者は冷淡
政府が事業規模28.1兆円の経済対策を決定した8月2日、マーケットは大荒れの展開。債券相場が急落(長期金利が急上昇)したほか、日経平均株価は前日比200円を超える下げ幅。ドル/円相場は欧米市場で101円を割り込むところまで円高ドル安が進行した。むろん、円高ドル安の材料になったのは日本の政策動向だけではなく、米4-6月期GDP(国内総生産)市場予想比下振れによる年内追加利上げ観測の後退という大きな材料があったわけだが、外形的には、「アベノミクス再加速」の動きに対し、市場参加者はきわめて冷淡な反応を示したということになる。
しかも、市場の動きがそうなった大きな原因は日銀の追加緩和が「小粒」になったことだと考える向きが政府内にいると考えることに、無理はないだろう。民間金融界に反対論が多いマイナス金利の深掘りが見送られたことはともかく、建設国債増発を伴う財政出動とタイアップして長期国債買い入れを上積みしなかったことが、債券市場の安定状況を壊し、逆に金利の急上昇に結び付いてしまったからである。
また、株式市場の一部からは、債券安が投資家のリスクテイク能力の低下を通じて2日午後の株価下落幅拡大に結び付いたという声も出ている。
さらに言えば、円金利の上昇は為替相場では円買い材料である。
債券市場が、金融政策の先が見えにくくなったことへの恐怖感からか、それとも潜在的な金利上昇への願望が投影されたのか、ボラティリティ(変動率)の上昇を伴ってスパイラル的に崩れたことを日銀がいつまでも放置できるとは考え難い。押し目買いの格好の機会である「交通事故」的なイベントが発生したとみる向きの動きをうけて、相場は自律的に安定する方向に向かうとみることができるが、早期にそうならない場合、「火消し」を狙った何らかのメッセージ発信が日銀からあってもおかしくないと、筆者はみている。
すでに、それらしい動きが少しずつ出てきている。
日銀の異次元緩和、もはやエンドレス?
黒田日銀総裁は8月2日、麻生太郎財務相と会談した後の記者会見で、9月の「総括的検証」によって金融緩和の縮小に向かうのではないかとの質問に対し、「総括的検証自体、2%の物価安定目標をできるだけ早期に実現するために何が必要か明らかにするためにする」「いまおっしゃったようなことにはならないと思う」と明言した。
日銀が追加緩和を決定したのと同じ7月29日、気象庁は東北地方の梅雨明けを発表した。これで、梅雨がない北海道を除き全国で梅雨が明け、東京はこの日、すがすがしく晴れた夏らしい陽気となった。しかしながら、もはや「エンドレス」に見える日銀の異次元緩和の行方を含む日本経済の先行きは、分厚い雲に覆われたままである。
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