日銀が実験的で大規模な金融緩和を続け、債券市場の健全性が失われた結果、様々な“副作用”が生じている。(写真:ロイター/アフロ)
政府は6月9日に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針2017」、いわゆる「骨太の方針」最新版の中で、財政健全化目標に関する表現を修正。「基礎的財政収支(PB)を2020年度(平成32年度)までに黒字化し、同時に債務残高対GDP(国内総生産)比の安定的な引下げを目指す」とした。PB黒字化の後に目指すとされていた債務残高対GDP比を、当面の並列目標に格上げした形である。安倍首相の意向および10%への消費税率引き上げが再延期された後の財政状況に鑑み、PBの黒字化目標は撤回して債務残高対GDP比に目標を先行き一本化するための地均し・布石だと受け止められる。
財政健全化目標、「絶対目標」から「相対目標」へシフト?
筆者が最も問題視したいのは、上記に沿って健全化目標が(並列期を経て)差し換えられる場合、目標の性質が本質的に変わってしまう点である。黒字化という「絶対目標」から、安定的な比率低下という「相対目標」に替えられる場合、債務残高対GDP比がもともと高いという「水準」の問題が看過されやすくなり、「曲がりなりにも比率が下がってさえいればなんとかなる」といった甘え・規律の緩み・油断が生じやすくなる。付言すれば、分母(名目GDP)を定義の変更(計上対象範囲の拡大)といったテクニカルな修正によって大きくしようとするインセンティブも生じる。
また、「名目GDP成長率が長期金利より高ければ債務残高対GDP比は下がるはずだ」という、極度に単純化した楽観的な見方が広がっていることにも違和感がある。
①人口減・少子高齢化が着実に進む中で分母である名目成長率の高めの伸びを持続的に確保するのが困難であることが1つ。
また、②財務省内などからは、PB赤字が大幅なままでは長期金利が低位に抑制されていても債務残高対GDP比はなかなか下がらないという、ロジカルな指摘がなされている。
実際、2013~2016年度は、長期金利(普通国債の利率加重平均・年度末)よりも名目GDP(前年度比)の方が高かったものの、債務残高対GDP比は上昇し続けた<■図1>。
■図1:名目GDP(前年度比)と普通国債の利率加重平均(年度末)
注:普通国債とは、建設国債、特例国債(赤字国債)、減税特例国債、承継債務借換国債、復興債、年金特例国債。
(出所)内閣府、財務省
さらに、③名目成長率と税収の伸びは、理論とは異なって現実には連動しないことがある。名目で前年度比+1.1%成長になった2016年度の税収は、第3次補正予算で下方修正した55兆8600億円からさらに数千億円下振れて、2009年度以来の前年度割れになる見込みと報じられている。
長期金利が急上昇したら、「日銀が国債買い入れを進めるだろう」
安倍首相の経済政策ブレーンの1人であり、積極財政を主張する論客として知られている内閣官房参与の藤井聡・京大大学院教授は、5月27日に産経新聞が掲載したインタビュー記事「PB黒字化目標、取り下げを」の中で、次のように述べた。
「(来年の「骨太方針」で議論する際に)PB目標は、達成時期を後ろ倒しにするのでなく堂々と取り下げるべきだ。PB目標があれば(国債発行が制限され)本格的な手を打てない。民間がお金を使わない現状では、政府が使わなければ経済が駄目になる。(積極的な財政支出を背景とする)PB赤字は経済を進める『ジェットエンジン』だ」
「(金利が高騰したら)日銀が放っておかず、国債の買い入れを進めるだろう。リスクはほとんど考えられない」
「歳出改革はやめず、成長を上向かせる分野に大きく集中すべきだ。政権が(平成)32年を目指す名目GDP600兆円の達成には年3%の成長が必要となる。予算規模などから計算すると、30年度予算の特別枠は、29年度の概算要求基準で設けた4兆円から1兆7千億円上乗せすればよい」
上記の中で最も筆者が懸念を抱いたのは、仮に長期金利が急上昇しても「日銀が放っておかず、国債の買い入れを進めるだろう」というくだりである。同日の系列紙フジサンケイビジネスアイではこの発言がより詳しく書かれており、「国債投げ売りの雰囲気が出ても日銀がほうっておかない。国債の買い入れを進め円の信認は守られるだろう。リスクはほとんどない」となっていた。
本来、債券市場は「警告シグナル」を出すはずだが…
日銀が実験的で大規模な金融緩和を続け、債券市場の健全な価格形成機能がほぼ消滅して機能不全に陥った結果、問題視すべき程度まで財政規律の弛緩がだんだん進みつつあることが、如実に示されているように思う。
市場のプロにとっては常識的な話だが、このコラムの読者層はそれ以外の方々が多いので、少し丁寧に説明しよう。
長期金利の上昇には、種類が2つある。
1つは、「良い金利上昇」である。国内景気の改善が力強く長く続いて、企業が設備投資、雇用・賃金の面で積極姿勢を強め、銀行借り入れや社債発行などによる必要な資金の調達に動く結果、資金の需要・供給バランスがひっ迫して(要するに資金が足りなくなり)、金融市場で長期金利が上昇するパターンである。そうした状況に直面した中央銀行は、景気の過熱・物価上昇の行き過ぎにブレーキをかけるべく、通常は利上げに動くことになる。この場合の金利上昇は景気回復に伴う自然なものであり、中央銀行が問題視する話ではない。銀行など金融機関の収益状況は、保有する国債など有価証券の価格下落で損失を被る一方、貸出金利の上昇・貸出額の増加によって利益が増加するわけで、差し引きでは収益全体にプラスとみるのが一般的である。
もう1つは、「悪い金利上昇」である。こちらは、景気・物価といったファンダメンタルズではなく、財政状況の大幅悪化(ないし大幅な悪化見通し)が原因で起きる金利上昇であり、望ましくないものであることは言うまでもない。償還までの期間がかなり長い超長期ゾーンを中心に、財政悪化に伴う将来の国債増発や格付引き下げリスクを債券の購入者が取る対価として、金利が上乗せされる度合いが大きくなる(リスクプレミアムが拡大する)。財政規律の弛緩に対し、金利上昇という形で、債券市場が「警告シグナル」を発するわけである。
債券市場はもはや「日銀依存の需給相場」にすぎない
ただし、この財政に警告する機能は、日銀がすでに国債残高の4割以上を保有しているといった異例の大規模買い入れ策によって封殺されており、債券市場はもはや「日銀依存の需給相場」にすぎないと言っても過言ではない。このため、債券市場の現場では現在、「悪い金利上昇」はほとんど死語になっている。
そうした「悪い金利上昇」を日銀が封殺している憂慮すべき状況を、藤井内閣官房参与は財政出動の障害にならないという意味で、前向きにとらえたわけである。
だが、景気刺激目的の財政出動および当然それに伴う政府債務のさらなる増加が、本当に中長期的に、日本という国や日本国民のためになるのだろうか。筆者には大いに疑問である。
債券市場という「監視者」がその機能を止めている現状、財政規律の弛緩に対しては、主権者たる国民がこれまで以上にしっかりチェック機能を働かせなければならない。もしそれを怠るようだと、自分の世代のうちか、子・孫の世代になってからかはわからないが、大きなツケを支払わなければならなくなる時がいずれやってくるのではないか。
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